拙稿掲載誌のご案内『ファーストクラス TRAVEL GUIDE』
4月11日にイカロス出版から発売された『ファーストクラス TRAVEL GUIDE』に『国際線黄金時代の追憶 昔懐かしいあのエアラインの「F」』と題して拙稿が掲載されています。

管理人が所蔵する、パンナムなどが発行した半世紀以上前の貴重なパンフレットなどから、往年のファーストクラスを回顧する記事となっています。

是非ご覧ください!

管理人が所蔵する、パンナムなどが発行した半世紀以上前の貴重なパンフレットなどから、往年のファーストクラスを回顧する記事となっています。

是非ご覧ください!
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拙稿掲載誌のご案内『航空旅行』『月刊エアライン』
1月末発売の『航空旅行』誌にて、拙著『時空旅行 外国エアラインのヴィンテージ時刻表で甦るジャンボ以前の国際線』の紹介記事を掲載しています。

また、同じく『月刊エアライン』誌3月号に、「安全のしおり」の歴史に関するコラムが掲載されています。

是非ご覧ください!

また、同じく『月刊エアライン』誌3月号に、「安全のしおり」の歴史に関するコラムが掲載されています。

是非ご覧ください!
管理人の著書が発売されます!
イカロス出版さんから以下のムックが11月28日に発売されます。
「時空旅行」
外国エアラインのヴィンテージ時刻表で甦るジャンボ以前の国際線
戦後すぐからジャンボが初めて就航した1970年までに日本に乗り入れた全エアラインを就航順に網羅し、
時代を映す各社のタイムテーブル全80種あまりの画像と解説で半世紀前の国際線の姿を浮き彫りに!
全編、管理人の所蔵資料と解説で構成されています。
くわしくはコチラ
「時空旅行」
外国エアラインのヴィンテージ時刻表で甦るジャンボ以前の国際線
戦後すぐからジャンボが初めて就航した1970年までに日本に乗り入れた全エアラインを就航順に網羅し、
時代を映す各社のタイムテーブル全80種あまりの画像と解説で半世紀前の国際線の姿を浮き彫りに!
全編、管理人の所蔵資料と解説で構成されています。
くわしくはコチラ
生き残った「あじあ」号(1959年)
かつて大連~新京~哈爾浜間を駆け抜けた、南満洲鉄道の特急「あじあ」号。
密閉式展望車を最後尾に連結した濃緑色の客車の先頭に立っていたのは、流線型も斬新な大型蒸気機関車・パシナでした。
「あじあ」は1934(S9)年に運転を開始し、戦争が激しさを増す1943(S18)に運転を取りやめていますが、それらの車両は、終戦前後にソ連が侵攻したどさくさや中国大陸の政治体制の大変革を経て、日本人の前からは姿を消すこととなります。
長らく消息不明だった牽引機のパシナが、廃車体として「発見」されたのは、中国交正常化後に日本人観光団体を受け入れるようになった1980年代の中国でのことでした。
これにより、それまでは「中国に残存」とも「ソ連に持ち去られた」とも言われていた「あじあ」号の車両は、一部が中国に存在していたことが確実となった訳ですが、「竹のカーテン」の向こう側・戦後まもない中国での現役時代を今に伝えてくれる資料は、「発見」から30年を経ても一般には目にすることがないのが実情です。
という訳で、これを最初に見たときは目を疑った貴重な資料を紹介したいと思います。
1959(S34)年に瀋陽の鉄路局が発行した地方版時刻表、表紙を飾るのは紛れもなく流線型のパシナです。

当時の中国の時刻表は、実際には中国に存在しない西欧の車両をモチーフとしたイラストが表紙を飾ったりしているものもあるのですが(そうまで見栄を張りたいのか?)、これはそうしたものとは異なり、パシナの姿が割と忠実に描かれています。
ただ、青系だったと言われる塗装は、戦後の中国の車両の標準的な塗装である、緑に白いストライプに変更されています。
当時のパシナの運用は分かりませんが、瀋陽鉄路局発行の時刻表表紙に描かれていることから推察すると、やはり戦前の満鉄時代と同じような路線で走っていたのではないでしょうか。
(画像をクリックすると拡大します)
密閉式展望車を最後尾に連結した濃緑色の客車の先頭に立っていたのは、流線型も斬新な大型蒸気機関車・パシナでした。
「あじあ」は1934(S9)年に運転を開始し、戦争が激しさを増す1943(S18)に運転を取りやめていますが、それらの車両は、終戦前後にソ連が侵攻したどさくさや中国大陸の政治体制の大変革を経て、日本人の前からは姿を消すこととなります。
長らく消息不明だった牽引機のパシナが、廃車体として「発見」されたのは、中国交正常化後に日本人観光団体を受け入れるようになった1980年代の中国でのことでした。
これにより、それまでは「中国に残存」とも「ソ連に持ち去られた」とも言われていた「あじあ」号の車両は、一部が中国に存在していたことが確実となった訳ですが、「竹のカーテン」の向こう側・戦後まもない中国での現役時代を今に伝えてくれる資料は、「発見」から30年を経ても一般には目にすることがないのが実情です。
という訳で、これを最初に見たときは目を疑った貴重な資料を紹介したいと思います。
1959(S34)年に瀋陽の鉄路局が発行した地方版時刻表、表紙を飾るのは紛れもなく流線型のパシナです。

当時の中国の時刻表は、実際には中国に存在しない西欧の車両をモチーフとしたイラストが表紙を飾ったりしているものもあるのですが(そうまで見栄を張りたいのか?)、これはそうしたものとは異なり、パシナの姿が割と忠実に描かれています。
ただ、青系だったと言われる塗装は、戦後の中国の車両の標準的な塗装である、緑に白いストライプに変更されています。
当時のパシナの運用は分かりませんが、瀋陽鉄路局発行の時刻表表紙に描かれていることから推察すると、やはり戦前の満鉄時代と同じような路線で走っていたのではないでしょうか。
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