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拙稿掲載誌のご案内『航空旅行』『月刊エアライン』

1月末発売の『航空旅行』誌にて、拙著『時空旅行 外国エアラインのヴィンテージ時刻表で甦るジャンボ以前の国際線』の紹介記事を掲載しています。

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また、同じく『月刊エアライン』誌3月号に、「安全のしおり」の歴史に関するコラムが掲載されています。

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是非ご覧ください!
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拙稿掲載誌「東京人」9月号のご案内

雑誌「東京人」9月号に拙稿が掲載されております。

特集:東京の玄関口を旅する 「近代史を映し出す羽田空港八十年史」

是非ご覧ください!

「東京人」のホームページ(都市出版)

日本経済新聞に載りました。

本日(8月29日)朝刊、文化面に時刻表歴史館館長の記事が掲載されています。
文章自体は取材を受けて記者の方が書かれたものですが。

拙稿掲載誌のご案内~「九州の空港」

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5月30日、イカロス出版様より拙稿掲載誌が発売されます。

日本のエアポート05 九州の空港

このシリーズは羽田空港、成田空港、関西3空港、東海3空港の4冊が刊行されており、いずれも巻末の歴史パートを私が担当しているのですが、今回も「九州の空港 ナンバーワン&オンリーワン伝説」として、当館所蔵資料を駆使し、九州の空港にまつわる歴史ネタを展開しております。

是非ご覧下さい。

tag : 日本航空の歴史羽田空港の歴史昭和史

拙稿掲載誌のご案内

4月26日、イカロス出版様より、拙稿掲載誌が発行されます!

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(以下出版社コメント)
“旅は家を出た瞬間から始まっている、移動にもこだわろう”をコンセプトに据えた月刊エアライン別冊『航空旅行』を4月26日に全国の書店にて発売いたします。
今回は『ファーストクラス』を特集に据えました。ファーストクラスは言わずもがな、航空旅行の最高峰! 欧米線では片道約100万円もするファーストクラスでは、どのようなサービスが展開するのか、そのすべてを余すところなくご紹介する内容となっております。
本邦初となる機内にシャワールームのあるエミレーツ航空のエアバスA380という航空機のファーストクラス搭乗ルポは必見です。飛行時間を12時間とすると、1時間当たり8万円強という究極の空の旅をお楽しみください。
そのほか、話題のLCC、ボーイング787などについても取り上げています。

◆主なコンテンツ
・搭乗ルポ“エミレーツ航空A380_シャワールーム付きのプライベートスイート”
・ANAのFIRST CLASSはどのように作られるのか?
・ファーストクラスの基礎知識“現代ファーストクラス案内”
・ビジネスクラスとの違いは何か?ファーストクラスの何がすごいのか?
・これであなたも大丈夫!? 初めてファーストクラスに乗る時の心得
・割引運賃で? マイルで? お得にファーストクラスに乗る方法を考えよう
・日本発着エアライン_ファーストクラス・パーフェクトガイド
・個人的体験記「私が愛するファーストクラス」
・現代とは違う豪華さのあった昔のファーストクラス

Further more…
ローカル線紀行「島への旅路」/LCCピーチデビュー/JALボーイング787登場!etc…

もちろん筆者の担当は、「現代とは違う豪華さのあった昔のファーストクラス」です。

半世紀前の資料を駆使した興味深い記事になっていると思います。
よろしくお願い申し上げます。

tag : 日本航空の歴史

「ニセドイツ3」補遺

資本主義諸国とは対極に位置した東ドイツに郷愁をおぼえる「オスタルギー」の視点も織り交ぜながら、東ドイツの工業製品や社会を読み解く「ニセドイツ1」「ニセドイツ2」の続編として、今度は西ドイツそのものを取り上げた「ニセドイツ3」(伸井太一さん著・社会評論社刊)が登場!

詳しくはコチラ

実はこのシリーズを手がけているのが「時刻表世界史」の編集者・ハマザキカクこと濱崎誉史朗氏ということで、私は前作に東ドイツ国営航空・インターフルークや東ドイツの鉄道に関する資料を提供したのですが、今度は寄稿のリクエストがあり、資料と拙文が数ページ掲載されております。題して、

『時刻表ドイツ史:自国以外との意外なエピソード』

内容は是非お買い求めのうえご覧下さい! といういうことで詳述は避けますが、今回、紙幅の都合で大幅に割愛せざるを得なかった図版を、本エントリで紹介したいと思います。
本文と併せてご覧になると、より理解が進むでしょう。

<1962(S37)年のパンナム西ドイツ国内線時刻表>

これは西ドイツ各都市と西ベルリンを結ぶ路線だけが掲載されたパンアメリカン航空の時刻表です。
本文でも触れていますが、東西ドイツ統一までは西ベルリンという都市の特殊性から、米英仏の航空会社だけがこの区間を運航していました。パンナムだけでもなんと一日に50便程度が往来していたことが見てとれます。

当時はベルリン中心部のテンペルホーフ空港にプロペラ機・DC-6Bで発着していました。
"NUR FRACHTFLUG"と記載された貨物専用便も運航されていたことがわかります。



<東ドイツ国内線のルート>

西ドイツと西ベルリン間を結ぶ空路は東ドイツ上空を飛ぶため、厳格に決められていました。
この空中回廊は東ドイツの西半分に3本設けられていましたが(本書P.50参照)、一方の東ドイツ国内線は見事にバッティングしないような位置を飛んでいたということが分かる資料が下の地図。

東ドイツ国営航空・インターフルークが1960年代に発行した国内線ルートマップですが、東ドイツ国内線の航空路はベルリンよりも東側に集中していたことが一目瞭然です。

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<西ベルリン~シェーネフェルト空港間のトランジットバス>

さて、本文では東ベルリンのシェーネフェルト空港にまつわるエピソードに触れていますが、西ベルリンとの間に走っていた連絡バスの時刻表というのがコレ。
シェーネフェルトからの航空便の時刻が掲載されていますが、東欧だけではなく意外にもパリやロンドンといった西側都市にも飛んでいました(もちろん、航空会社はポーランド航空など東側の会社です)。

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発行は1963(S38)年ですが、このトランジットバスを利用する場合の注意点が裏に記載されています。

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<パンナムの軍人向け時刻表>

そして最後にもう一つ、西ドイツに関わるパンナムの資料を。

上述したように、かつてパンナムは西ドイツで大きな存在感を放っていましたが、それは冷戦という背景があったからに他なりません。現在もフランクフルト空港に隣接してライン・マイン基地がありますが、戦後西ドイツには数多くの米兵が駐留していました。

そうした米兵や家族など関係者の本国との往来のために、パンナムが軍人むけ割引を用意していたということが分かる資料が、1975(S50)年に発行された"Military Timetable Germany - USA"です。

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是非お買い求め下さい!!!

(画像をクリックすると拡大します)

(かなり偏った)バルト三国旅行報告~最終回

3回に渡ってお送りしたバルト三国旅行報告ですが、本日のエストニア編で打ち止めです。

エストニアもラトビアと同様、首都のタリンしか観ていませんが、中世ハンザ同盟以来の雰囲気が色濃く残る、良い港町でした。例えるなら小樽でしょうか?

エストニアのソ連からの独立は「歌う革命」とも言われますが、ここがその舞台となった「歌野原」。「歌広場」ではありません。それではカラオケボックスになってしまいます。

ここでは5年に一度、歌の祭典が開催されます。なんと1世紀以上の歴史があり、独立時代はもちらんソ連時代も続いていたというのは驚き。
背中を向けている銅像は、エストニアの有名な愛国歌を作曲した、グスタフ・エルネサクスです。
正面のスタンドは1960(S35)年の完成とのこと。

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歌野原から海岸沿いに行くと、「ルサルカの像」が見えます。
1893(M26)年にこの近くで沈没した軍艦「ルサルカ」の慰霊碑です。
タリンには海洋博物館があり、大きく穴が開いて湾曲したルサルカ像の碑文が展示されていました。大戦中の戦闘で破損したとのことで、現在のものは2代目のようです。

ちなみに、時刻表歴史館(本館)で展示中の、1962(S37)年のアエロフロート・ソ連航空時刻表(エストニア版)の表紙にも、大きくその姿が描かれています。

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他の2国と同様、エストニアも第一次大戦直後に独立を経験するのですが、これはその記念碑。

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ここの街はどこを見ても絵になる風景でした。
記念碑の前の道を進むと、市庁舎前広場に至ります。写真中央、横断幕が見えますが、その後ろの建物は古本屋。掘り出し物を求めて入った戦利品は・・・

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1990(H2)年のエストニア周辺鉄道時刻表。(ソ連時代末期のもの。表紙は当時モスクワ~レニングラード間で活躍していたER200電車)

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1950年代のビリニュスの観光パンフレット。(ロシア語版)

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同様に、カウナスの観光パンフレット。

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ソ連時代のものは当時なかなか西側には流出しませんでしたから、やはり現地でならではの紙モノがいろいろありました。しかも、売値は数ユーロ。

さて、お約束の駅めぐり。
タリンの駅は旧市街の城壁の隣にある、無機質な直方体です。当然、ソ連時代の建築。

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駅の内部。一国の首都の駅ですが、かなり閑散としていました。

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改札はなく、ホームに入り放題ですが、なんとなくくたびれた感というか、寂しさの漂う終着駅です。
ちょうど、タルトゥからとおぼしき電車が到着。
朝にバスで通りかかった時は客車が停まっていましたが、夜行列車は客車で、昼間の国内列車は電車という感じのようです。

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駅の隣には蒸気機関車が保存されています。
ソ連時代に貨物列車用として大量生産されたL型蒸気機関車のようで、動輪5軸というのはなかなか迫力があります。
何かいわれがある車両なのかは、説明板も何も見あたらなかったので分かりませんでした。

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夜はコンサートホールでエストニア国立交響楽団85周年記念シリーズの演奏会を聴きました。
このコンサートホールは戦前の建築ですが、大戦中に爆撃を受けたのを修復されたりと、激動の歴史をくぐり抜けて今に至っています。

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当夜のプログラムは、エストニア出身の世界的指揮者であるネーメ・ヤルヴィによる十八番。
やはりエストニア出身の作曲家で、大戦中にスウェーデンへ亡命したトゥビンの交響曲第5番(1946)と、ソ連の現代作曲家の最高峰・ショスターコービチの交響曲第7番「レニングラード」(1942)。
演奏会の副題に「戦争交響曲」と掲げられていましたが、まさにそのキャッチフレーズにふさわしい2曲です。

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ショスタコービチの「レニングラード」は、表向きはナチス・ドイツの猛攻に耐えるソ連軍・ソ連市民の姿を高らかに歌い上げた“プロパガンダ”曲。そんな曲をソ連に対する拒絶反応の高いエストニアで演奏するのはどういうことだろうか?という疑問も沸きますが、実はファシズムだけではなく、人民を迫害するスターリニズムに対する批判もこの曲に込めらているのだということも云われている訳で、そういう視点でみれば至極まっとうな選曲と言えるでしょう。

愛する故郷を捨てたという経験を持つ作曲者と指揮者(ヤルヴィは80年代に西側へ逃れている)の組み合わせで、戦争という極限状態を通して国を愛するということや人間のたくましさを表現するという、希有なコンサートを聴くことが出来たのは幸せなことだったと思います。

旅の最終日、空港へ向かうバスの中から見えたスターリン様式の建物。1959(S34)年と刻まれていました。

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そしてタリン空港。
このターミナルはモスクワオリンピック1980(S55)年に向けて完成したもの。オリンピックではタリンでレガッタ競技が行われました。

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1936(S11)の開港から75周年ということで、パネル展が行われていました。
これはソ連からの独立闘争時の時のものと思われます。出来てから30年しか経過していない建物ですが、激動の歴史を見つめてきたのですね。

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では、先代のターミナルはといえば、駐機場の片隅にまだ残っています。写真中央やや左に見える、灰色の建物がそれです。

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ここからフィンランド航空でヘルシンキへ向け、バルト海を横切る30分あまりのフライトに搭乗します。
フィンランド航空のタリン~ヘルシンキ線といえば、大戦中の1940(S15)年6月、ソ連軍による撃墜事件が発生したといういわくつきの路線。外交文書を運んでいたフィンランド航空機は、バルト諸国の軍事封鎖を秘密裏に進めたいソ連による“口封じ”の犠牲になったのでした。

旧ターミナルのアップ。1938(S13)年に着工され、1954(S29)年に完成したとのこと。

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これで旅行報告を終えますが、3国とも共産時代を直接思い起こさせるような風景は意外に少ないものでした。独立から20年が過ぎ、各国はすでに元々の民族の手でそれぞれの表情をみせています。逆に、共産時代を経ても、旧市街など史跡がそのまま生き残っているというのも驚きでした。
駆け足で巡ったので、博物館などをじっくりと見学する時間がなかったのは心残り。またいつか再訪したいものです。

(かなり偏った)バルト三国旅行報告~その3

その2に続いて本日は、戦前にリトアニアの臨時首都だったカウナスから、ラトビアの首都・リガへの旅をお送りします。

カウナスは日本人にとって大変ゆかりの深い街です。外交官・杉原千畝が、第二次大戦初期にナチスの迫害から逃れるために押し寄せたユダヤ難民に対し、独断で日本の通過ビザを発行したのがここ。
「命のビザ」として知られるこのエピソードの舞台となった日本総領事館が現在も残り、記念館として公開されています。下の写真がまさにその建物なのです。

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もともと個人の家として造られただけに、外観にこれといった特徴はないですし、実際、山の手の普通の住宅街(といってもやや高級な土地柄らしい)にあります。
大使館など外交関係の公館というと、大都市のド真ん中にその国の建築様式で建てられた風変わりな建物といったイメージが浮かびますが、ちょっと意外。

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これが杉原が使っていたとされる机。
1940(S15)年、リトアニアのソ連への併合に伴って領事館は引き払われ、その後記念館が出来るまで半世紀以上の時が経過しているだけに、本当に彼が使っていたものであるかどうか100%の確証はないらしいです。
が、そうであると信じたい。

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山の手から市街へ。ここもやはりトロリーバスが健在。
街の中には廃墟と化した建物も散見され、やはり経済的にも結構苦しいのかなという印象。

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下はカウナス旧市街の隣を流れるネムナス川に架かる橋。長さ256mとのことですが、かつて「世界一長い橋」と言われたそう。
え? それ位の橋はいくらでもあるんじゃ??? と疑問に思われるかもしれません。この橋が「世界一長い」と言われた理由、それは“とんち”の類なのです。

19世紀初頭前後、カウナスを含むリトアニアはロシア領でした。一方、この川を挟んで反対側はプロイセンあるいはワルシャワ公国が支配。ロシアは革命までユリウス暦を使っていましたが、一方でプロイセンなどはすでに現在の暦を使用しており、この橋を渡るということは、異なった暦を使っている国の間を往来することになる訳です。
ということで、渡ると「時差」どころか「日付」すら変わってしまう-そこで『渡るのに数日かかる』などと言われたのが「世界一長い橋」の真相でした。

なお、現在の橋桁は大戦後間もなくソ連時代に再建されたものです。

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リトアニアは十字架で有名です。教会ばかりではなく、家の庭先や道端に木の十字架が立っていたりします。
そんな中、カウナスからリガへ向かう道すがら、十字架で埋め尽くされたその名もズバリ「十字架の丘」があります。

最初は一個だった十字架が、長い年月の間に数万にも増大し、宗教が弾圧されたソ連時代にはもちろん、撤去の動きもあったといいますが、結局は元のとおりになってしまったとか。
日没直後に通ったのですが、恐山、賽の河原にも似たおどろおどろしい雰囲気とは裏腹に、旅人の篤い信仰心が表れた聖地なのですね。

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すっかり夜になり、リガへ到着。カウナスからはバスで5時間ほどかかりました。
ホテルにチェックイン後まずは中央駅へ。典型的なソ連時代の駅舎建築です。

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やはりここにもマックがあったか・・・。マクドナルド リガ駅前店。

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ホテルは19世紀から存在するクラシックホテルだったのですが、エレベーターにはロシア語のボタンが。
右の赤いボタンは「ストップ」と書かれた緊急停止ボタン。左の黒いのには「ドア」という意味の単語が書いてありますが、「開く」ボタンか?

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翌日は旧市街観光なのですが、その中から絶景ポイントを紹介します。聖ペテロ教会です。

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エレベータで教会の尖塔に登るとリガの市街が一望できます。画面左がリガ中央駅。
おっ、スターリン様式の建築も見えますな。ラトビアの科学アカデミーとのこと。

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視線を右に移すと、ダウガワ川が滔々と流れています。
折しも鉄橋を貨物列車が渡っていました。こういうとき、やはり撮ってしまうのがマニアのお約束。(笑)

遠くに見えるのは共産圏ではおなじみ、ラジオ・テレビ塔です。
リガのものはやはりソ連時代の1986(S61)に完成したもので、高さは368m(ということは、東京タワーより若干高いという感じですね)。EU内で見てももっとも高い塔だそう。

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再び地上に戻り、市街観光を続けます。
リガにはアールヌーヴォー建築が多数存在しています。悪趣味なほど凝りに凝った装飾が施されたアパート、雑居ビルが軒を連ねる様は壮観ですが、下の画像はその中でもやや地味な一軒。ロシア大使館です。

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ロシア大使館の筋向かいには、パッと見すぐに共産時代からのものと判る建物が残っています。
1982(S57)年築のRiga Congress Centre。

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残念ながら短時間の滞在でリガからエストニアのタリンへと移動。
道路は地図でみると海岸線沿いに走っているのですが、実際に海が見えるところは意外に少なかったです。
これはエストニアとの国境近いとある集落。向こうに見えるのはバルト海-というよりは、正確にはバルト海に開けているリガ湾。

灰色の空といい、どちらかというと日本海側、北陸本線の富山と新潟の県境を走っているような感覚に襲われました。

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ついにラトビアとエストニアの国境に到着。
画像の奥に見える料金所のようなところが、かつて国境の検問所だった施設です。現在ではまったく係員ははおらず、もちろん何のチェックもなく通過しました。
(ちなみに、リトアニアとラトビアの国境がどんな様子だったのかは爆睡していて分かりませんでした)

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リガにはナチスドイツやソ連による占領を記録する博物館など、興味深い施設がいろいろあるのですが、残念ながら時間がなく、そうした施設は見られませんでした。
ネット上で詳細レポートをアップしている人もいますので、興味ある方は検索してみてはいかがでしょうか。

(かなり偏った)バルト三国旅行報告~その2

その1に引き続き、バルト三国旅行報告です。
本日はヴィリニュス市街の様子をおもに紹介します。

これは聖ペテロ・パウロ教会前から撮影したものですが、世界遺産となっている旧市街とは対照的に、川向こうの新市街には近代的なアパートが建ち並んでいます。近代的とは言っても随分と老朽化も進み、小綺麗という訳ではありませんでしたが。

無機質な箱形建築とトロリーバス・・・これぞ共産的風景でしょう。

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旧市街と新市街の境を流れるネリス川を渡ったところに、"Energy and Technology Museum"という博物館があります。
「エネルギーと技術の博物館」という名前のとおり、日本で言えば科学技術館とか国立科学博物館のような施設なのですが、展示量に関してそこまでの充実度はなく、分野的にはかなり限定された博物館です。

なんとこの博物館の建物は、1903(M36)年に運転を開始した火力発電所をそのまま利用したもの。
建物正面のてっぺんに、何かを持った彫像が見えますが、その右手で掲げているのは傘がついた電灯。ギリシャ神話のエレクトラの像で、ソ連時代に一旦撤去されたのち、1994年に再建されたとのことです。

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この博物館は大きく4つの分野で構成されています。
一つめはリトアニアのクルマ。二つめは発電施設。三つめはリトアニアの機械産業。四つめは子供向けの理科実験です。

最初の展示、リトアニアのクルマは、戦前から戦後にかけての実車展示が圧巻。
戦前のフォードやシトロエンの並びを抜けると・・・

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モスクビッチやジルといった共産主義車がずらり。
もちろん、その前にはフォルクスワーゲンなんかも置いてありましたが。

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そしてこの博物館の最大の目玉、発電施設の展示です。実際に稼働していた当時のボイラーやタービン、そしてその制御盤が今は静かに眠っています。
どれも旧ソ連製で、タービンなどは1946年(1947年だったかな?)の銘板が付いていました。

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階下に降りると、薄暗い空間にボイラーとそれらを繋ぐパイプが壁や天井を這っていました。アクション映画のラスト10分、ヒーローと悪役の戦いに出てきそうなシチュエーション。
油や焼けたような匂いがまだ感じられます。廃墟マニア・工場萌えの方々ならば悩殺されること請け合いです。

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あとは省略しますが、リトアニアでの機械工業に関する展示ということで、戦前の活版印刷機械や戦後作られていた家電製品(掃除機など)、コンピュータ(物置小屋くらいある初期のもの)が展示されていました。

ちなみに、エネルギーを扱っているいる博物館だけに、「原発」についての紹介がありました。
リトアニアは知られざる原発国で、なんとつい昨日も日本の某電機メーカーがリトアニアでの原発建設で仮合意締結というニュースが出ていました。
一方で、反原発の動きもあり、2008年には原発の操業をめぐって国民投票も行われたそうです(結果は投票自体が無効となった)。

ヘビーメタルの迫力に圧倒された後、ネリス川沿いを歩いてある「橋」へ向かいます。
バスの車窓から見て「おお~っ、これは!」と興奮し、是非とも駆けつけねばと思っていたその橋。
欄干に銅像が建っているのがお分かりになるかと思います。

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その銅像を正面から見たのが下の写真。2名の兵士をモチーフとしたもの。

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そして、渡った先には労働者のものが。右の人物が持っているのは削岩機です。鉱山か建設労働者をイメージしているのでしょう。

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労働者の像の下にはこの橋の由来が書かれたプレートが掲げられていました。

「緑の橋」と呼ばれるこの橋、もともとは16世紀に最初の橋が架けられたそうですが、その後何代か架け替えられ、現在のものはソ連時代の1952(S27)年に建設されたとのこと。当然、これらの銅像も、社会主義を象徴するものとしてこの時に制作され、取り付けられたものです。
解説プレートには、『ヴィリニュス市内で旧ソ連時代のこうした彫像が残されているのはここだけ』と書かれていました。

道の反対側には教育を象徴する像。その向こうには明らかにスターリン様式の建物も望めます。
橋の解説のとおり、本エントリーで最初に触れたアパートなどを除き、市街地-すなわち「ハレの場」に残る共産時代の面影としては、もはやここだけが1950年代から変わっていないアングルなのではないかと思います。

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今回の旅行で関心があったことのひとつに、バルト三国に共産時代の面影がどれくらい残っているのか?ということがありました。
ドイツでは旧東ドイツへのノスタルジーとも言える「オスタルギー」があると言いますし、ポーランドではトラバントに乗って共産遺跡を巡るツアーも催行されています。

しかし、バルト三国に関して見る限り、ソ連時代はもはや過去の遺物であり、KGBなどによる過去の蛮行の暴露や独立闘争という文脈で捉える時には博物館入りした歴史的事実として扱われるものの、基本的には時の流れの中に置き去りたい歴史なのだということが感じられました。

それは、ソ連の支配が強かったとはいえ独立国家として存在していた東ドイツやポーランドとは異なり、ソ連に強制的に組み込まれ、支配されてきたという歴史がそうさせるのでしょう。

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ホテルへ戻る途中、旧ソ連時代の映画館の廃墟がありました。
かつては賑わったであろうこの映画館も、そのうちに再開発されて跡形もなくなることでしょう。

続いてリトアニアのカウナス経由でラトビアへ向かいます。

(もちろん、旧市街などフツーの観光地もちゃんと見ていますよ(笑)。国立ユダヤ博物館は随分と考えさせられた。KGB博物館は休館日で見られず残念・・・)

(かなり偏った)バルト三国旅行報告~その1

Twitterでも既報のとおり、12日から一週間の日程でバルト三国へ行ってきました。
本エントリーにて極めて偏った観点から(笑)道中を報告させていただきます。

成田からヘルシンキ経由で13時間かけてリトアニアのヴィリニュスへ。
今年は12月にしては暖かく、雪ではなく雨上がりのエアポートに到着。

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手荷物受け取りエリア。
弧を描く柱がエレガント。おお、共産系レトロ建築はスゲー!と旅のはじめから大感動。

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手荷物を受け取って到着ロビーへ。天井からはシャンデリア。宮殿か?この空港は・・・

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ヴィリニュス空港のHPによると、このターミナルは1954(S29)年10月に完成。時まさにスターリン時代ですが(正確にはスターリンは前年に死去)、意外とシンプルでおとなしい外観ですね。ロシア古典主義様式のボリショイ劇場をシンプルにした感じ。
設計は Dmitry Burdin と Gennadiy Yelkin という2名だそうですが、『戦争による収監者(戦犯・抑留者だろう)によって建てられた』と上述のHPに記載があります。
なお、文化財にもなっているこのレトロなターミナルは到着客専用として使われており、出発の場合はこの建物の裏、駐機場側に増築された近代的な施設の利用となります。

ホテルは駅の目の前だったので、翌朝に早速ヴィリニュス駅へ。空港と似通った外観ですが、こちらは19世紀の建築とのこと。
ちなみに、これは午前8時頃の撮影です。高緯度地方なので朝は遅く、明るくなるのは9時頃でした。

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エントランスを入ると大広間。

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大広間の奥に待合室があり、ホームへの出口が見えます。
ヨーロッパの駅だけに、改札口はありません。

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ホームの様子。『世界の車窓から』風(笑)

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切符売り場は中央ホールの両翼にあります。国際路線と国内路線に分かれており、これは国内路線の売り場。
海外の駅にありがちな、やや薄暗い佇まいです。そういえばホテルも“節電営業”で暗かったのですが、幸か不幸か日本で慣れていてあまり違和感はなく。

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駅前はバス乗り場になっており、普通のバスのほかにトロリーバスも発着していました。

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マクドナルド・ヴィリニュス駅前店。共産主義を含む激動の時代を生き抜いた駅舎と資本主義の申し子のコラボ。
リトアニア、ラトビア、エストニアとも、マックは普通に街中にありました。物価は日本と比べて安く、バーガーとポテト・ドリンクのセットが400円しない程度でした。

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ヴィリニュス駅の2階には鉄道博物館がありました。
火曜から金曜の9時~17時と土曜の9時~16時に開館。大人3リタス。(1リタス=約30円なので、ざっと100円位)
マグカップやキーホルダーなど、マニアにはうれしい“リトアニア鉄道オリジナルグッズ”も販売。

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1966(S41)年開館なので、館内にはソ連時代からの鉄道系ハードウェアがぎっしり展示されています。
CCCPと書かれた紋章は、ソ連時代に機関車側面に掲げられていたエンブレム。

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壁には鉄道開業から現在に至るまでの年表や写真・資料を展示。

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戦前の駅事務室?を再現したイメージ展示の机上に置いてあった1933(S8)年の時刻表。これは是非ともいつか入手したい!

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次はヴィリニュス市街編です。
プロフィール

ttmuseum

Author:ttmuseum
「20世紀時刻表歴史館」館長。
サラリーマン稼業のかたわら、時刻表を中心とした交通・旅行史関連資料の収集・研究・執筆活動を行う。

<著作>
「集める! 私のコレクション自慢」(岩波アクティブ新書・共著)

「伝説のエアライン・ポスター・アート」(イカロス出版・共著)

「時刻表世界史」(社会評論社)

「時空旅行 外国エアラインのヴィンテージ時刻表で甦るジャンボ以前の国際線」(イカロス出版)

その他、「月刊エアライン」「日本のエアポート」「航空旅行」(いずれもイカロス出版)、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)などに航空史関係記事を執筆。

<資料提供>
・航空から見た戦後昭和史(原書房)
・昭和の鉄道と旅(AERAムック)
・日本鉄道旅行地図帳(新潮社)
・ヴィンテージ飛行機の世界(PHP)
の他、博物館の企画展や書籍・TVなど多数。

「時刻表世界史」で平成20年度・第34回交通図書賞「特別賞」を受賞。

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