拙稿掲載誌のご案内~「九州の空港」
懐かしの水上バス(1960年)

「東京スカイツリー」の開業で注目を集める隅田川・浅草地域。
ここに欠かせない観光名所といえば、浅草の吾妻橋を起点に隅田川を上下する「水上バス」でしょう。ガラス張りのモダンな2階建て観光船から川風に吹かれながら堪能する眺望は格別です。
ところでこの「水上バス」、昔から現在のような形態だったのかといえば、そうではありません。
ここに紹介するリーフレットは、1960(S35)年に発行されたと思われる「水上バス」の案内。現在は吾妻橋と日の出桟橋(浜松町)をダイレクトに結んでいますが、当時は途中で蔵前橋や両国橋、永代橋に寄りながら、東銀座に発着していたことがわかります。
どうしてこんな各駅停車の路線だったのかといえば、それは現代のように観光に特化した存在ではなく、かつてはまさに水上「バス」という実用性もあったからでしょう。

内部の解説によると、水上バスのルーツは明治18年(1885)年にまで遡ります。当初は一銭蒸気とよばれていました(表紙に『75年間完全無事故』と書かれていますので、このリーフレットの発行は1960年から61年と推察されます)。
現在では100屯クラスの観光船が走るこの路線ですが、1960年代は「10屯以上」と書かれているとおり、船の大きさは今とは比べものにならない位、小さいものでした(そこに450名収容というのはムリがなかったのでしょうか?)。
運航は夏以外のシーズンは日没頃までとなっていますが、別の資料によると、もっとも日が短い時期で夕方の16時まで。そして日の長さとともに運航時間も長くなるダイヤだったようです。ただ、この当時でも真冬は土日だけの運航となっており、さすがに実用交通機関としての役割は薄れていたのでしょう。
そして、この資料には当時の隅田川に欠かせない風物詩が他にも二つみられます。
一つ目は「勝鬨橋」。解説に書かれているとおり、この頃はまだ一日に3回、開橋していたことがわかります。やがてこの頻度は1961(S36)年に一日1回に減り、1970(S45)には“開かずの橋”となって今に至ります。
もうひとつは「佃の渡し」。路線図の勝鬨橋のすぐ上に描かれているのがお分かりになるかと思います。
隅田川には多くの橋が架けられていますが、かつてはそれぞれが渡し船だったと言っても過言ではないくらい、隅田川の渡しは隆盛を誇りました。しかし、隅田川下流で最後まで残っていた「佃の渡し」も他の例に漏れず、オリンピックで東京が大改造を遂げた1964(S39)年、佃大橋の開通により廃止となっています。
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