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スーダン鉄道(1953年)

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長年にわたる内戦の末、7月に南部が分離独立したスーダン。
ここに紹介するのは今から60年ほど前、スーダン自体がまだ独立していなかった頃の鉄道・汽船時刻表です。

1956(S31)年に独立する前のスーダンはエジプトとイギリスによって統治されており、イギリスが経営していたケープ植民地(現在の南アフリカに相当)とエジプトを陸路で結ぶ「ケープ・カイロルート」上に位置していたことから鉄道の敷設も早く、すでに19世紀には建設が始まっています。特に、エジプトとの境からハルツームまでのナイル川は大きく湾曲して回り道のようになっている上、いくつかの滝もあって舟運には適さないことから、鉄道の存在意義は大きいものでした。

スーダンの鉄道は、ネットワークといえるほどの稠密さはないものの、第二次大戦後には最終的に5000キロ近くの延長を誇るまでに拡大しました。

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この時刻表は横長の紙を4つ折りにしたもので、全編英語で書かれたダイジェスト版であることから、欧米の旅行者をターゲットにしたものと推察されます。
スーダンの鉄道は首都・ハルツームを中心に、(1)北方のエジプト (2)南方のケニア・ウガンダ (3)東方の紅海 の3方面への連絡がその主要な役割であり、この時刻表にはそれらの路線の連絡時刻が掲載されていまました。

列車本数はいずれもあまり多くはなく、週に数本の運転。ハルツームからエジプト国境のワジハルファまでは丸一日の旅で、日曜朝にハルツームを出るとエジプトに着くのは木曜朝という気長な旅です。蒸気機関車に牽かれた混合列車が砂漠の中をゆっくりと走る様が目に浮かびます。

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そして、スーダンの交通で忘れてならないのは、ナイル川を往来する客船航路でした。
ハルツームの南方・コスティから、現在の南スーダンの首都・ジュバを結ぶものがその中心的な路線。時刻表によると、これもまた約一週間もかかる旅だったことがわかります。
当時、ジュバからは自動車(Road Motor)乗り換えで、ナイロビ方面へ接続していました。

なお、この時刻表はもともと1953(S28)年に発行されたものですが、大方の時刻は変わらなかったとみえ、客船の出航日だけ別の紙を上から貼り付けて、1955(S30)年に使われたもののようです。
スーダンで内戦が勃発したのは奇しくもその年のこと。この時刻表は平和な時代の最後を飾る記念品と言って良いかもしれません。

ちなみに、スーダンの鉄道・航路の時刻は1960年代まではトーマス・クックの時刻表にも概略が載っていました。70年代に一時的に時刻表上から姿を消したこともありますが、その後、クックの国際時刻表が刊行されるとそちらに復活。しかし、内戦などの影響からか、90年代末期にはまともな時刻は載らなくなってしまいました。

最後に、スーダン鉄道が1935(S10)年頃に発行した旅行案内書"Visit the SUDAN"に掲載されている、スーダン鉄道の列車とコスティ~ジュバ間の白ナイルをゆく客船の写真を紹介しておきます。

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プロフィール

ttmuseum

Author:ttmuseum
「20世紀時刻表歴史館」館長。
サラリーマン稼業のかたわら、時刻表を中心とした交通・旅行史関連資料の収集・研究・執筆活動を行う。

<著作>
「集める! 私のコレクション自慢」(岩波アクティブ新書・共著)

「伝説のエアライン・ポスター・アート」(イカロス出版・共著)

「時刻表世界史」(社会評論社)

「時空旅行 外国エアラインのヴィンテージ時刻表で甦るジャンボ以前の国際線」(イカロス出版)

その他、「月刊エアライン」「日本のエアポート」「航空旅行」(いずれもイカロス出版)、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)などに航空史関係記事を執筆。

<資料提供>
・航空から見た戦後昭和史(原書房)
・昭和の鉄道と旅(AERAムック)
・日本鉄道旅行地図帳(新潮社)
・ヴィンテージ飛行機の世界(PHP)
の他、博物館の企画展や書籍・TVなど多数。

「時刻表世界史」で平成20年度・第34回交通図書賞「特別賞」を受賞。

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