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明石フェリー・鳴門フェリー(1954年)

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今日では、離島も含め日本各地ほとんどどこへでもクルマで出かけることができるのが当たり前になっています。
そんな「クルマ社会」のあけぼのに関わる時刻表を紹介しましょう。

1954(S29)年4月、本州(明石)と淡路島、淡路島と四国(鳴門)の間に2つの公営カーフェリーが就航。これは、当時航路を経営していた兵庫県と徳島県が発行した案内リーフレットです。
この航路は1952(S27)年に公布された道路整備特別措置法(旧)で「利便性が著しい道路は、地方自治体が国から融資を受けて整備を実施し、完成後は整備に要した費用を償還する目的で有料道路として管理する」というスキームが可能となったことによって開設されたものでした。
この区間は神戸と徳島を結ぶ国道28号線の一部なのですが、いわゆる「海上国道」部分をなぞるフェリーの嚆矢といえます。道路法によれば、こうした「渡船」も道路の一種なのです。

当時のフェリーは艀(はしけ)にやぐらが立ったような簡素で無骨な造りで、今日のように格好良いものではありませんが、本州・四国と連絡された喜びから地元・淡路島はたいへんなお祭り騒ぎだったようです。
もっとも、フェリーは島の生活の利便向上だけではなく、四国の農産物などの輸送や観光バスによる団体輸送に威力を発揮し、西日本の移動地図を塗り替えるようなインパクトを与えました。

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リーフレットはお役所が発行した資料だけに内容そのものは非常に事務的ですが、開設当初は一日に6往復が運航され、両方の航路の連絡も意識されていたことが読み取れます。
既存の船会社への配慮から、自動車と一緒でなければ乗船できず、まさに自動車のためにある航路だったようです。なお、航路は県が経営していましたが、実際の運航業務は地元の航送組合の担当でした。

その後、1956(S31)年に道路整備特別措置法の新法が制定され、有料道路の建設・管理を行う日本道路公団が発足すると、この航路は同公団に引き継がれました。
下に掲載した画像は、道路公団が管理していた時代、1970(S45)年頃の時刻表です。

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本四架橋計画の前史ともいえる明石・鳴門フェリーは、宇野~高松間と並んで四国連絡の大動脈として活躍しましたが、民間によるフェリーの乱立や航空便の頻発など激しい環境変化にさらされ、道路公団の管理する航路としては鳴門が1978(S53)年、明石が1986(S61)年に幕を閉じています。
その後、1998(H10)年には明石海峡大橋が開通。淡路島を経由しての本四連絡は悲願が実り、橋の時代にバトンタッチが完了したのでした。

その後も民営フェリーの運航は続きましたが、昨今の不況や高速道路料金の見直しなどの影響により、明石~淡路間の通称「たこフェリー」が2010(H22)年11月に運休に至ったのは記憶に新しいニュースです。

【おすすめの一冊】
「淡路島の20世紀 海と陸の交通」(洲本市立淡路文化史料館 2003)
 同館で開催された特別展の図録。淡路島を中心とした航路のほか、島内の私鉄についても言及。

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プロフィール

ttmuseum

Author:ttmuseum
「20世紀時刻表歴史館」館長。
サラリーマン稼業のかたわら、時刻表を中心とした交通・旅行史関連資料の収集・研究・執筆活動を行う。

<著作>
「集める! 私のコレクション自慢」(岩波アクティブ新書・共著)

「伝説のエアライン・ポスター・アート」(イカロス出版・共著)

「時刻表世界史」(社会評論社)

「時空旅行 外国エアラインのヴィンテージ時刻表で甦るジャンボ以前の国際線」(イカロス出版)

その他、「月刊エアライン」「日本のエアポート」「航空旅行」(いずれもイカロス出版)、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)などに航空史関係記事を執筆。

<資料提供>
・航空から見た戦後昭和史(原書房)
・昭和の鉄道と旅(AERAムック)
・日本鉄道旅行地図帳(新潮社)
・ヴィンテージ飛行機の世界(PHP)
の他、博物館の企画展や書籍・TVなど多数。

「時刻表世界史」で平成20年度・第34回交通図書賞「特別賞」を受賞。

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