昔の空の旅-ウェーク島(ウェーキ島)案内

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航空機の航続性能が現在のように大陸間をノンストップで飛べるだけの距離に満たなかった時代、中部太平洋を横断するには途中で着陸して給油しなければなりませんでした。
特に、ジェット機が登場する前の1950年代までは2カ所での給油が必要であり、そんな寄港地としてハワイのホノルルと並んで知られていたのがここに紹介するウェーク島(Wake island)。フィリピンとハワイの間に浮かぶアメリカ領の孤島です。



ところで、給油のための2時間程度の寄港とはいえ、何もない南海の島へ足跡を印すという体験は、ただでさえ海外旅行が珍しかった時代にさらに輪をかけて得難いものであったせいか、往年の航空会社はウェーク島に関する紹介リーフレットを発行していました。

上は、日本航空が1954(S29)年の太平洋線開設からしばらく経った頃、座席にセットした機内案内資料類(フライト・パケット)に同封して配布していた「ウェーキ島御案内」。島全体やターミナルビルの概略図などのほか、島のプロフィールが掲載されています。
表紙の写真は当時の国際線主力機であるダグラスDC-6Bです。

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「空飛ぶホテル」とも言われたボーイング・ストラトクルーザーの機首が表紙を飾るのは、パンアメリカン航空のもの。パンナムはウェーク島開発の立役者といっても良いほど、この島には縁が深いエアラインでした。
1930年代、パンナムは太平洋横断の飛行艇空路を開設するにあたり、ウェーク島に乗客用のホテルを建設。当時は航法援助施設が未整備だったため夜間の洋上飛行ができず、夜はどこかに着陸して宿泊する必要があったからです。

しかし、第二次大戦中にウェーク島は日米の激戦の舞台となり、これらの施設は破壊されてしまいます。大戦中の一時期は日本軍が占領していましたが、最終的にはアメリカが奪還。
戦後は軍やFAA(連邦航空局)によって、飛行艇ではなく陸上機のための施設が整備され、JALやパンナムそして北米と極東を往来する米軍機などにとって欠かせない寄港地となりました。

戦勝国としての意識が強いのか、パンナムのリーフレットは島の施設案内よりも、第二次大戦を中心とした歴史についての記述が主体です。

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最後のひとつは、1950年代に活躍したアメリカの不定期エアラインであるトランスオーシャン航空(現存せず。沖縄を中心に飛んでいる日本トランスオーシャン航空とも無関係)が発行したもの。

表紙の写真には、なにやら海岸にそそり立つ岩のような物体が写っていますが、これは戦時中の1943(S18)年3月28日に米軍の攻撃で掴座し、その後全損した日本郵船の客船「諏訪丸」(戦前にヨーロッパ航路で活躍)の残骸。沈没位置は、JALのリーフレットに“スワ丸”として示されています。

ちなみにウェーク島には、これらのリーフレットが発行された頃に日本側が建立した戦没者慰霊碑(「太平洋の波 永遠に静かなれ」と刻まれている)がありますが、その建立者にはJALのほかトランスオーシャン航空も名を連ねています。

こうして、太平洋の往来に欠かせなかったウェーク島ですが、1950年代末期に航続距離が長いダグラスDC-7Cが就航すると、太平洋横断はホノルルのみ寄港のワンストップの時代に突入します。
それでもジェット時代の初期までは、偏西風に逆らって飛ぶ西行き便で、冬期に燃料消費が著しいとウェーク島に臨時に着陸することもある旨が時刻表に記載されていましたが、やがて技術の進歩でそれも解消され、民間旅客機のウェーク島寄港は完全に歴史のひとコマとなりました。

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