第二次世界大戦勃発時の大西洋航路(1939年)

1939(S14)年9月1日、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦の火蓋が開かれました。
すでにヨーロッパには戦争の暗雲が立ちこめていましたが、太平洋戦争開戦直前の日米間とは異なり、国際間の交通はそれまでと変わらず維持されてきたため、各交通機関は開戦によって大きな混乱に陥ります。
特にそれが顕著だったのが、当時の国際交通の大動脈である、大西洋を横断してヨーロッパとアメリカをつなぐ客船航路でした。
ここに紹介した資料は、アメリカン・エキスプレス社が定期的に発行していた、北米に発着する航路の運航予定表。開戦を挟む、8月から11月まで有効のものです。
ところで、アメリカン・エキスプレスというと、今日の私たちにとってはクレジットカードのブランドというイメージが強いですが、元々は運送業から出発してトラベラーズチェックの発行で有名になり、むしろ旅行業界が本来の事業テリトリーなのでした。

これが問題の開戦前後の大西洋航路(なお、北米~地中海方面の航路は別ページなのでここには掲載されていません)。
開戦によってドイツ潜水艦が跳梁する大西洋は商船にとって危険地帯となり、また、軍事輸送用に客船がたちまち徴用された関係で、多くの航路が運航中止となりました。
この資料が発行されたのは戦前のことですから、もちろん9月以降のスケジュールは「戦争がなければこういう予定だった」という情報に過ぎません。言い換えれば、「幻のスケジュール」ともいえます。
毎日数便が北米とヨーロッパ双方から出航していたという運航頻度には驚かされますが、当時の大西洋横断は大体、5日から一週間程度かかったことから推定すると、開戦時には十数隻くらいの客船が大西洋を航行していたことになります。
(もっとも、以下に触れたとおり、実際には予定通りの運航を行わなかったものもありました)
主なものをピックアップしてみましょう。
"クイーン・メリー"(英) → 8月30日サウサンプトン発の便が洋上で開戦を迎えたが、NYに無事到着。
"ノルマンディ"(仏) → 8月30日NY出港予定だったが、船主の指示でキャンセル。そのままNYで開戦を迎える。
"ブレーメン"(独) → 8月30日NY出港予定を繰り上げて出発しようとしたが阻止され、予定通り出港。
ただし乗客は乗せず、ドイツと不可侵条約を結んでいたソ連のムルマンスクに逃げ込む。
一方、9月1日にグラスゴーを出航したイギリス客船"アテニア"(Athenia)のように、Uボートに撃沈されてしまうという悲劇的な結末を迎えた船もあります。

さて、この予定表には船だけではなく、当時開通したばかりの大西洋飛行艇空路の時刻も掲載されています。
路線は2本あり、ひとつはカナダ(※)とアイルランドを経由してサウサンプトンに至る北大西洋空路、もうひとつはアゾレス諸島を経由してマルセイユに至る中部大西洋空路でした。
(※)Botwoodの所在が"New Foundland"と記載されていることに注目。ニューファンドランドは当時まだイギリス植民地だったのです。カナダに編入されるのは戦後1949(S24)年のこと。
パンアメリカン航空によって運航されたこれらの空路も、前者は開戦後一ヶ月・就航開始からわずか3ヶ月で一般むけの路線としては運航中止、後者は中立国ポルトガルのリスボン止まりとなって辛うじてしばらくは維持されることとなります。
こうして大戦に突入した大西洋の交通ですが、まだまだ波乱は続きます。
たとえば、フランスの客船"ノルマンディ"は、1940(S15)年6月にフランス本土がドイツの占領下に入ると「敵性財産」となり、アメリカ当局に接収されてしまうという運命を辿りました。
ただ、これらについてはもはや「時刻表」で語れない部分ということで、この辺で筆を置くことにしましょう。
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