日航南米線(1958年)

JALの南米線というと、1978(S53)年から昨年秋まで運航されていた東京~サンパウロ線を思い浮かべますが、これはそれよりもずっと前の話。
戦後、国際線が再開される機運が高まると、戦前から日本人の移住者が多かった南米への航空路線開設が話題となったのは自然の流れで、JAL以外の新会社までもが名乗りを挙げていました。
JALは日本のフラッグキャリアとして、1954(S29)年2月の太平洋線開設時より南米への乗り入れを計画。しかし、国内外の諸事情により定期運航の開始は叶わず、不定期便を何度か運航するにとどまりました。この不定期便は1954年10月にはじまり、1959(S34)年の第11回まで続いたといいます。
ここに紹介したのはそのオーラスひとつ前、第10回目の案内リーフレット。1958(S33)年4?月の発行です。

当時の主力機・DC-6Bによる運航。6月8日夜に東京発で、ウェーク島・ホノルル・サンフランシスコ・ニューオリンズ・カラカス・ベレム・リオデジャネイロを経由し、サンパウロに到着するのは6月11日。リーフレットには『皆様を70数時間でサンパウロまで御案内いたします。』なんて書いてありますが、70数時間の航空旅行はチョッと現代では考えられないですね(世界一周線などを除くと当時世界最長)。
この路線、採算や通貨の不安定による為替差損といった問題があり、やはり長続きはしませんでした。
ちなみに当時、戦前からの伝統ある大阪商船の南米航路もまだ健在。「ぶらじる丸」「あるぜんちな丸」などが移住者や本国との往来者を運んでいました。これについてもまた日を改めて紹介したいと思います。
【おすすめの一冊】
「日本航空20年史 1951~1971」(日本航空 1974)
JALの社史。戦後日本の国際線史をたどる上での基本的文献。
(サムネイルをクリックすると拡大します)
スポンサーサイト