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大戦突入直前のオランダ領東インド鉄道(1941年)

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現在のインドネシアが、かつてオランダ領だったことはよく知られています(オランダ領東インド。日本では「蘭印」とも呼ばれた)。
本日紹介するのは、そのオランダ領東インドの鉄道時刻表。1941(S16)年11月から翌年にかけて有効のものです。
ということは、

まさに太平洋戦争の開戦直前に発行されたもの

ということになります。

現地の観光局は、ジャワ島などを訪れる観光客向けにダイジェスト版の時刻表を1910年代には早くも発行していましたが、ここに紹介した時刻表は全線全駅を掲載したフルサイズ。ポケット版ながら、300ページにも及ぶ堂々たる体裁です。

それもそのはず。オランダ本国は国土は小さいですが鉄道網がよく発達していることで知られています。その技術と精神を受け継ぎ、オランダ領東インドの鉄道は東南アジアではいち早く、1867年(慶応3年)に開業し、戦前の時点ですでに総延長が7000キロにも達していたといいます。
時刻表冒頭に挿入されている、新型の客車やダイナミックに橋や線路を撮影したグラビアからも、そうした発展の片鱗が窺えます。

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時刻表は、バタビア(現:ジャカルタ)~ジョグジャカルタ間の急行列車から始まり、スラバヤ島・パレンバンとジャワ島との連絡時刻が続きます。

その次からが線区別の時刻表になるのですが、上の画像はバンドン発スラバヤ方面の時刻表。黒い枠は急行列車の印です。
脚注に記載されているように、「B」はビュッフェの連結を示します。ほかに食堂車を示す「R」などもあり、設備面も充実していたことが偲ばれます。しかし一方で等級を見ると1等から4等まであったことが分かり、1等の豪華で快適な旅と4等との間にはかなりの差があったことでしょう。

ちなみに、当時のオランダ本国は前年5月にナチス・ドイツに占領され、政府はイギリスに亡命している状態でした。国土はナチス・ドイツの侵攻で破壊され、鉄道も甚大な被害を受けています。
一方で、その亡命政府が管轄するこの東南アジアの植民地には、時刻表からも窺えるように何事もなかったかのような南国の暮らしが息づいていました。それは、あたかも栄華をきわめた本国の形見のような存在だったといえるでしょう。

そんなオランダ領東インドも、太平洋戦争の開戦翌年、1942(S17)年3月には日本軍に占領され(この侵攻は、パレンバンへの落下傘降下作戦などでよく知られていますね)、当然のことながら鉄道も日本の管理下に置かれることとなります。このときに線路の幅は縮小され、ヨーロッパの標準軌から狭軌(1067ミリ軌間)という日本仕様へと変更されています。

ところが、この変更が幸いしたのか、現在では国際協力の一環として日本の中古車両がインドネシアに譲渡され、地元の足として活躍しています。彼の地に行くと、ひと昔前の都営三田線や東急の車両が走っていて、20世紀末期の日本に戻ったかのような錯覚を感じることでしょう。

(画像をクリックすると拡大します)
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tag : アジアの鉄道

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プロフィール

ttmuseum

Author:ttmuseum
「20世紀時刻表歴史館」館長。
サラリーマン稼業のかたわら、時刻表を中心とした交通・旅行史関連資料の収集・研究・執筆活動を行う。

<著作>
「集める! 私のコレクション自慢」(岩波アクティブ新書・共著)

「伝説のエアライン・ポスター・アート」(イカロス出版・共著)

「時刻表世界史」(社会評論社)

「時空旅行 外国エアラインのヴィンテージ時刻表で甦るジャンボ以前の国際線」(イカロス出版)

その他、「月刊エアライン」「日本のエアポート」「航空旅行」(いずれもイカロス出版)、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)などに航空史関係記事を執筆。

<資料提供>
・航空から見た戦後昭和史(原書房)
・昭和の鉄道と旅(AERAムック)
・日本鉄道旅行地図帳(新潮社)
・ヴィンテージ飛行機の世界(PHP)
の他、博物館の企画展や書籍・TVなど多数。

「時刻表世界史」で平成20年度・第34回交通図書賞「特別賞」を受賞。

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