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大戦直前の上海(1941年)



『上海特急』『上海バンスキング』『上海帰りのリル』と、近現代の上海という街は、数々の人生が交錯するにふさわしく、時として“魔都”とも形容される底知れぬ奥深さを秘めたメトロポリスとして、人々に一種独特の魅力を与えてきました。

ここに紹介するのは、日中戦争から数年が経過した太平洋戦争直前の上海で発行された、日本との間の航路の入出航予定表。

発行元は「華中旅行局」と聞き慣れない名前ですが、「ツーリスト・ビューロー」という記載からも分かるように、今日のJTBの前身である「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」の華中支部を指しているようです。
場所柄、「ジャパン」という地理的に限定的な文言が適当ではないということで、そうした別称を用いていたのでしょう。

この華中支部は元々、ビューロー満洲支部の華中出張所として1940(S15)年6月に開設されたものでしたが(もっとも、ビューローはこれ以前にも華中各所に出張所や案内所を開いていました)、同年12月に早くも満洲支部から独立して本部直属の組織として発足したという経緯があります。

こうした変遷は、全体的な組織論よりもとにかく拡大志向が優先した当時のビューローと、外地の観光・宣伝活動に対する政府や経済界の思惑とがようやく決着をみたもので、『日本交通公社七十年史』の記述を借りるならば「大陸機構問題」というべきものでした。

ところで、右端に掲載された上海発着の鉄道時刻表で、「海南線」という線名が見えますが、これは上「海」と「南」京を結ぶ線という意味。しかし、元々は京滬線という名称であり、日本側の「駅名決定委員会」なる組織で検討のうえ、1938(S13)年4月1日に改称されたものです。

これ以外にも華中の鉄道路線名や駅名は多数が改称されており、そんなところにも日中戦争の影響がみてとれます。

shanghai1941_2.jpg

さて、裏面はご覧のとおり、上海~日本間の航路と上海~大連間の航路の予定表です。

前者には、日中戦争を契機に中国大陸方面への航路の一元的運航を目的として1939(S14)年に海運各社が合同で設立した東亜海運および、太平洋航路に就航していた日本郵船による船便が見られます。
ほぼ毎日のように日本との間に就航していたことからも、当時の大陸との往来の激しさがうかがえます。

なお、『支那の航運』(東亜海運 1943年刊)にも記載されていますが、日中戦争開戦前までは上海~日本間には諸外国の遠洋航路が多数就航していました。
しかしながら、日中戦争とそれに続く第二次大戦の勃発により、英仏はもとよりドイツやイタリアの船会社もこの区間では活動を停止し、ここに記載されている船便が当時の日中間の客船による連絡のすべてだったと考えられます。

ちなみに、1939年にツーリスト・ビューローが発行した案内書「上海」では、郵船の便が発着する桟橋から、日本人が多数居住する虹口地区までは自動車で10分・1ドル50セントとあります。当時の日本人にとって、大陸との往来はまさにドア to ドアの感覚だったのかもしれません。

(画像をクリックすると拡大します)
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tag : アジアの鉄道 昭和史

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ttmuseum

Author:ttmuseum
「20世紀時刻表歴史館」館長。
サラリーマン稼業のかたわら、時刻表を中心とした交通・旅行史関連資料の収集・研究・執筆活動を行う。

<著作>
「集める! 私のコレクション自慢」
(岩波アクティブ新書・共著)

「伝説のエアライン・ポスター・アート」
(イカロス出版・共著)

「時刻表世界史」(社会評論社)

その他、「月刊エアライン」「日本のエアポート」(いずれもイカロス出版)、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)などに航空史関係記事を執筆。

<資料提供>
「昭和の鉄道と旅」(AERAムック)
「日本鉄道旅行地図帳」(新潮社)
「ヴィンテージ飛行機の世界」(PHP)
の他、博物館の企画展や書籍・TVなど多数。

「時刻表世界史」で平成20年度・第34回交通図書賞「特別賞」を受賞。

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