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GDYNIA-AMERICA LINES(1950年)

pol1950.jpg

よく視聴者投稿ビデオを紹介する番組で「このあと、信じられないことが起こる!!」なんていうナレーションがありますが、今回紹介するのはまさにそんな驚きのストーリー展開を背負った一品。

ポーランドの海運会社、グディニャ・アメリカ・ラインの1950(S25)年5月の運航予定表。巻頭には客船「バートリ」(BATORY)によるグディニャ~ニューヨーク間の大西洋航路の運航予定が掲載されています。コペンハーゲンとサウサンプトンを経由し、ひと月に一往復の割で運航されていたようです。
16世紀のポーランドの王様の名前にちなんで名づけられた「バートリ」は、姉妹船の「ピウスツキ」(こちらは20世紀に入ってからのポーランド共和国初代元首の名前)とともに第二次大戦直前に大西洋航路に就航した、同社を代表する客船でした。


polbatory.jpg

上に掲載した戦前の同社のパンフレットの表紙に掲載されている写真からも分かるように、「バートリ」は何の変哲もない普通の外航客船でした。しかし、1950年前後のニューヨークではかなり「浮いた」存在だったと推察されます。なぜならば、「共産圏からの客船」だったからです。
ポーランドは他の東欧諸国と同様に、元々から社会主義国だった訳ではなく、戦後の復興の過程で共産党政権が誕生し、ソ連主導の東側ブロックの一員となりました。当時は冷戦の最初期、アメリカでは「赤狩り」の嵐が吹き荒れていた時代です。東側諸国からの定期客船が好意的に見られたはずはありません(そんな時代に東西両陣営間に定期航路があったこと自体が信じられないですが)。

この予定表の前年、「バートリ」にとって決定的にダメージとなる事件が起きていました。なんと、東側大物スパイのアメリカからの脱出に使われたのです。以降、入港時には当局の厳重な監視が敷かれるようになったばかりか、ニューヨークの港湾労働者が「バートリ」に関わる作業を拒否。そうなれば運航を維持できないのは当たり前ですよね。
ということで、翌年の1951(S26)年に「バートリ」は伝統ある大西洋航路からの撤退を余儀なくされたのでした。

東西冷戦はこんなところにも影を落としていたのです。
このあと「バートリ」がどうなったのか? この続きは次回。

【おすすめの一冊】
"THE LAST ATLANTIC LINERS" (WILLIAM H.MILLER, Conway Maritime Press Ltd. 1985)
 戦後の大西洋航路の歴史について、就航船にまつわるストーリーがまとめられています。

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プロフィール

ttmuseum

Author:ttmuseum
「20世紀時刻表歴史館」館長。
サラリーマン稼業のかたわら、時刻表を中心とした交通・旅行史関連資料の収集・研究・執筆活動を行う。

<著作>
「集める! 私のコレクション自慢」
(岩波アクティブ新書・共著)

「伝説のエアライン・ポスター・アート」
(イカロス出版・共著)

「時刻表世界史」(社会評論社)

その他、「月刊エアライン」「日本のエアポート」(いずれもイカロス出版)、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)などに航空史関係記事を執筆。

<資料提供>
「昭和の鉄道と旅」(AERAムック)
「日本鉄道旅行地図帳」(新潮社)
「ヴィンテージ飛行機の世界」(PHP)
の他、博物館の企画展や書籍・TVなど多数。

「時刻表世界史」で平成20年度・第34回交通図書賞「特別賞」を受賞。

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