“トーマス・クック時刻表”の戦後市販再開第一号(1946年)

ヨーロッパの鉄道旅行には欠かせない“トーマス・クックの時刻表”。
イギリスで創業した旅行代理店、トーマス・クック社が発行するこの時刻表の創刊は、なんと1873(M6)年。日本において新橋~横浜間に鉄道が開業したのがその前年なのですが、時代が江戸から明治に変わってまだ間もない時期にあたります。
実は創刊の年だけでみれば、イギリスにはこれよりもさらに古い鉄道時刻表が存在しました。
“ブラッドショー・大陸案内”は1847年の創刊。しかし、1961(S36)年に廃刊となってしまい、トーマス・クックが一世紀以上の歴史を今に至るまで更新し続けているのです。
ところで、この100年には様々な出来事がありました。なんと言ってもその筆頭が第二次世界大戦でしょう。
1939(S14)年9月、大戦の勃発に伴ってヨーロッパ大陸は戦場となり、一般人にとって旅行という活動は縁遠いものとなりました。当然、旅行者をターゲットとする時刻表にとってこの事態は致命傷。トーマス・クック時刻表も、その時点で休刊となっています。
ちなみに、第一次世界大戦の時には、戦場となった地域の時刻は開戦前の内容のままとはいえ、時刻表自体は毎月刊行が続けられていたといいますから、このことからも第二次世界大戦のインパクトがうかがえます。
クックが復刊したのは大戦終結翌年、1946(S21)7月のこと。しかし、表紙には"STAFF USE ONLY"と記載され、事務用ということで一般には市販されていません。
正真正銘、一般むけとして再登場したのは同年11月でした。本日紹介するのはまさにその市販再開第一号です。
オレンジ色の表紙、大体B5版というのは今日のものとあまり変わりません。しかし、戦前の号はこの約半分のサイズだったので、当時はガラっと印象が変わったことでしょう。
ちなみに、今日のものは背の糊だけで製本されていますが、この頃まではゴムのような細紐でも綴じられていました。

目次に目を移しましょう。
前半がヨーロッパ各国の鉄道、後半が船舶の時刻という今と同じ構成ですが、ある国の欠落に気づきます。
それは「ドイツ」。当館でもしばしば記載しているように、大戦後のドイツは米英仏ソによって分割占領されており、鉄道も当時はまだそうした占領国による分割管理でした。
一方、ドイツに占領されていたチェコスロバキアやオーストリアについては、この時点ですでにドイツからは切り離されて国土を回復しており、鉄道も個別の管理に戻っています。
オーストリアは実際は分割占領状態でしたが、鉄道はオーストリア国営鉄道"Austrian State Railways"として一体に扱われています(翌年にオーストリア連邦鉄道"Austrian Federal Railways"に改称)。
もっとも、ドイツの項目が無いからといって、ドイツ国内がまったく掲載されていない訳ではなく、巻頭に纏められている国際連絡のページには、ドイツ国内を通るパリやロンドンから中欧・東欧への直通列車が載っています。
代表格はパリ発ウィーン行きの「オリエント・エクスプレス」。当時はシュトゥットガルトから分割して、プラハやその先のワルシャワにも至っていました(製本がもろく、内部をスキャニングできないのが残念です)。
ところで、この時刻表には旅行会社発行らしく、ビザの要否など各国の入国要件も記載されているのですが、その冒頭にはこんな一文があります。
『以下の地域への一般旅行者は軍の許可(Military Permits)が必要です。-ドイツ、オーストリア、ヴェネツィア・ジュリア州(トリエステ含む)、ビルマ、マラヤ、トリポリタニア、キレナイカ、エリトリア、ソマリア、ソマリランド、日本、韓国』
『ブルガリア、ハンガリー、ルーマニアへの入域は、Control Commissionの許可が必要です』
どこも枢軸側支配から連合軍による解放など激動の変遷を辿った場所。平和が到来したとはいえ、まだまだ自由な世界旅行は望めない時代だったのです。
そして、ソ連(ロシア)については『旅行をしたい人は個人的に領事館に申請すること』とあり、冷戦時代につながる不気味さがうかがえます。
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