(かなり偏った)バルト三国旅行報告~その2
その1に引き続き、バルト三国旅行報告です。
本日はヴィリニュス市街の様子をおもに紹介します。
これは聖ペテロ・パウロ教会前から撮影したものですが、世界遺産となっている旧市街とは対照的に、川向こうの新市街には近代的なアパートが建ち並んでいます。近代的とは言っても随分と老朽化も進み、小綺麗という訳ではありませんでしたが。
無機質な箱形建築とトロリーバス・・・これぞ共産的風景でしょう。

旧市街と新市街の境を流れるネリス川を渡ったところに、"Energy and Technology Museum"という博物館があります。
「エネルギーと技術の博物館」という名前のとおり、日本で言えば科学技術館とか国立科学博物館のような施設なのですが、展示量に関してそこまでの充実度はなく、分野的にはかなり限定された博物館です。
なんとこの博物館の建物は、1903(M36)年に運転を開始した火力発電所をそのまま利用したもの。
建物正面のてっぺんに、何かを持った彫像が見えますが、その右手で掲げているのは傘がついた電灯。ギリシャ神話のエレクトラの像で、ソ連時代に一旦撤去されたのち、1994年に再建されたとのことです。

この博物館は大きく4つの分野で構成されています。
一つめはリトアニアのクルマ。二つめは発電施設。三つめはリトアニアの機械産業。四つめは子供向けの理科実験です。
最初の展示、リトアニアのクルマは、戦前から戦後にかけての実車展示が圧巻。
戦前のフォードやシトロエンの並びを抜けると・・・

モスクビッチやジルといった共産主義車がずらり。
もちろん、その前にはフォルクスワーゲンなんかも置いてありましたが。

そしてこの博物館の最大の目玉、発電施設の展示です。実際に稼働していた当時のボイラーやタービン、そしてその制御盤が今は静かに眠っています。
どれも旧ソ連製で、タービンなどは1946年(1947年だったかな?)の銘板が付いていました。


階下に降りると、薄暗い空間にボイラーとそれらを繋ぐパイプが壁や天井を這っていました。アクション映画のラスト10分、ヒーローと悪役の戦いに出てきそうなシチュエーション。
油や焼けたような匂いがまだ感じられます。廃墟マニア・工場萌えの方々ならば悩殺されること請け合いです。

あとは省略しますが、リトアニアでの機械工業に関する展示ということで、戦前の活版印刷機械や戦後作られていた家電製品(掃除機など)、コンピュータ(物置小屋くらいある初期のもの)が展示されていました。
ちなみに、エネルギーを扱っているいる博物館だけに、「原発」についての紹介がありました。
リトアニアは知られざる原発国で、なんとつい昨日も日本の某電機メーカーがリトアニアでの原発建設で仮合意締結というニュースが出ていました。
一方で、反原発の動きもあり、2008年には原発の操業をめぐって国民投票も行われたそうです(結果は投票自体が無効となった)。
ヘビーメタルの迫力に圧倒された後、ネリス川沿いを歩いてある「橋」へ向かいます。
バスの車窓から見て「おお~っ、これは!」と興奮し、是非とも駆けつけねばと思っていたその橋。
欄干に銅像が建っているのがお分かりになるかと思います。

その銅像を正面から見たのが下の写真。2名の兵士をモチーフとしたもの。

そして、渡った先には労働者のものが。右の人物が持っているのは削岩機です。鉱山か建設労働者をイメージしているのでしょう。

労働者の像の下にはこの橋の由来が書かれたプレートが掲げられていました。
「緑の橋」と呼ばれるこの橋、もともとは16世紀に最初の橋が架けられたそうですが、その後何代か架け替えられ、現在のものはソ連時代の1952(S27)年に建設されたとのこと。当然、これらの銅像も、社会主義を象徴するものとしてこの時に制作され、取り付けられたものです。
解説プレートには、『ヴィリニュス市内で旧ソ連時代のこうした彫像が残されているのはここだけ』と書かれていました。
道の反対側には教育を象徴する像。その向こうには明らかにスターリン様式の建物も望めます。
橋の解説のとおり、本エントリーで最初に触れたアパートなどを除き、市街地-すなわち「ハレの場」に残る共産時代の面影としては、もはやここだけが1950年代から変わっていないアングルなのではないかと思います。

今回の旅行で関心があったことのひとつに、バルト三国に共産時代の面影がどれくらい残っているのか?ということがありました。
ドイツでは旧東ドイツへのノスタルジーとも言える「オスタルギー」があると言いますし、ポーランドではトラバントに乗って共産遺跡を巡るツアーも催行されています。
しかし、バルト三国に関して見る限り、ソ連時代はもはや過去の遺物であり、KGBなどによる過去の蛮行の暴露や独立闘争という文脈で捉える時には博物館入りした歴史的事実として扱われるものの、基本的には時の流れの中に置き去りたい歴史なのだということが感じられました。
それは、ソ連の支配が強かったとはいえ独立国家として存在していた東ドイツやポーランドとは異なり、ソ連に強制的に組み込まれ、支配されてきたという歴史がそうさせるのでしょう。

ホテルへ戻る途中、旧ソ連時代の映画館の廃墟がありました。
かつては賑わったであろうこの映画館も、そのうちに再開発されて跡形もなくなることでしょう。
続いてリトアニアのカウナス経由でラトビアへ向かいます。
(もちろん、旧市街などフツーの観光地もちゃんと見ていますよ(笑)。国立ユダヤ博物館は随分と考えさせられた。KGB博物館は休館日で見られず残念・・・)
本日はヴィリニュス市街の様子をおもに紹介します。
これは聖ペテロ・パウロ教会前から撮影したものですが、世界遺産となっている旧市街とは対照的に、川向こうの新市街には近代的なアパートが建ち並んでいます。近代的とは言っても随分と老朽化も進み、小綺麗という訳ではありませんでしたが。
無機質な箱形建築とトロリーバス・・・これぞ共産的風景でしょう。

旧市街と新市街の境を流れるネリス川を渡ったところに、"Energy and Technology Museum"という博物館があります。
「エネルギーと技術の博物館」という名前のとおり、日本で言えば科学技術館とか国立科学博物館のような施設なのですが、展示量に関してそこまでの充実度はなく、分野的にはかなり限定された博物館です。
なんとこの博物館の建物は、1903(M36)年に運転を開始した火力発電所をそのまま利用したもの。
建物正面のてっぺんに、何かを持った彫像が見えますが、その右手で掲げているのは傘がついた電灯。ギリシャ神話のエレクトラの像で、ソ連時代に一旦撤去されたのち、1994年に再建されたとのことです。

この博物館は大きく4つの分野で構成されています。
一つめはリトアニアのクルマ。二つめは発電施設。三つめはリトアニアの機械産業。四つめは子供向けの理科実験です。
最初の展示、リトアニアのクルマは、戦前から戦後にかけての実車展示が圧巻。
戦前のフォードやシトロエンの並びを抜けると・・・

モスクビッチやジルといった共産主義車がずらり。
もちろん、その前にはフォルクスワーゲンなんかも置いてありましたが。

そしてこの博物館の最大の目玉、発電施設の展示です。実際に稼働していた当時のボイラーやタービン、そしてその制御盤が今は静かに眠っています。
どれも旧ソ連製で、タービンなどは1946年(1947年だったかな?)の銘板が付いていました。


階下に降りると、薄暗い空間にボイラーとそれらを繋ぐパイプが壁や天井を這っていました。アクション映画のラスト10分、ヒーローと悪役の戦いに出てきそうなシチュエーション。
油や焼けたような匂いがまだ感じられます。廃墟マニア・工場萌えの方々ならば悩殺されること請け合いです。

あとは省略しますが、リトアニアでの機械工業に関する展示ということで、戦前の活版印刷機械や戦後作られていた家電製品(掃除機など)、コンピュータ(物置小屋くらいある初期のもの)が展示されていました。
ちなみに、エネルギーを扱っているいる博物館だけに、「原発」についての紹介がありました。
リトアニアは知られざる原発国で、なんとつい昨日も日本の某電機メーカーがリトアニアでの原発建設で仮合意締結というニュースが出ていました。
一方で、反原発の動きもあり、2008年には原発の操業をめぐって国民投票も行われたそうです(結果は投票自体が無効となった)。
ヘビーメタルの迫力に圧倒された後、ネリス川沿いを歩いてある「橋」へ向かいます。
バスの車窓から見て「おお~っ、これは!」と興奮し、是非とも駆けつけねばと思っていたその橋。
欄干に銅像が建っているのがお分かりになるかと思います。

その銅像を正面から見たのが下の写真。2名の兵士をモチーフとしたもの。

そして、渡った先には労働者のものが。右の人物が持っているのは削岩機です。鉱山か建設労働者をイメージしているのでしょう。

労働者の像の下にはこの橋の由来が書かれたプレートが掲げられていました。
「緑の橋」と呼ばれるこの橋、もともとは16世紀に最初の橋が架けられたそうですが、その後何代か架け替えられ、現在のものはソ連時代の1952(S27)年に建設されたとのこと。当然、これらの銅像も、社会主義を象徴するものとしてこの時に制作され、取り付けられたものです。
解説プレートには、『ヴィリニュス市内で旧ソ連時代のこうした彫像が残されているのはここだけ』と書かれていました。
道の反対側には教育を象徴する像。その向こうには明らかにスターリン様式の建物も望めます。
橋の解説のとおり、本エントリーで最初に触れたアパートなどを除き、市街地-すなわち「ハレの場」に残る共産時代の面影としては、もはやここだけが1950年代から変わっていないアングルなのではないかと思います。

今回の旅行で関心があったことのひとつに、バルト三国に共産時代の面影がどれくらい残っているのか?ということがありました。
ドイツでは旧東ドイツへのノスタルジーとも言える「オスタルギー」があると言いますし、ポーランドではトラバントに乗って共産遺跡を巡るツアーも催行されています。
しかし、バルト三国に関して見る限り、ソ連時代はもはや過去の遺物であり、KGBなどによる過去の蛮行の暴露や独立闘争という文脈で捉える時には博物館入りした歴史的事実として扱われるものの、基本的には時の流れの中に置き去りたい歴史なのだということが感じられました。
それは、ソ連の支配が強かったとはいえ独立国家として存在していた東ドイツやポーランドとは異なり、ソ連に強制的に組み込まれ、支配されてきたという歴史がそうさせるのでしょう。

ホテルへ戻る途中、旧ソ連時代の映画館の廃墟がありました。
かつては賑わったであろうこの映画館も、そのうちに再開発されて跡形もなくなることでしょう。
続いてリトアニアのカウナス経由でラトビアへ向かいます。
(もちろん、旧市街などフツーの観光地もちゃんと見ていますよ(笑)。国立ユダヤ博物館は随分と考えさせられた。KGB博物館は休館日で見られず残念・・・)
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