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(かなり偏った)バルト三国旅行報告~その3

その2に続いて本日は、戦前にリトアニアの臨時首都だったカウナスから、ラトビアの首都・リガへの旅をお送りします。

カウナスは日本人にとって大変ゆかりの深い街です。外交官・杉原千畝が、第二次大戦初期にナチスの迫害から逃れるために押し寄せたユダヤ難民に対し、独断で日本の通過ビザを発行したのがここ。
「命のビザ」として知られるこのエピソードの舞台となった日本総領事館が現在も残り、記念館として公開されています。下の写真がまさにその建物なのです。

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もともと個人の家として造られただけに、外観にこれといった特徴はないですし、実際、山の手の普通の住宅街(といってもやや高級な土地柄らしい)にあります。
大使館など外交関係の公館というと、大都市のド真ん中にその国の建築様式で建てられた風変わりな建物といったイメージが浮かびますが、ちょっと意外。

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これが杉原が使っていたとされる机。
1940(S15)年、リトアニアのソ連への併合に伴って領事館は引き払われ、その後記念館が出来るまで半世紀以上の時が経過しているだけに、本当に彼が使っていたものであるかどうか100%の確証はないらしいです。
が、そうであると信じたい。

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山の手から市街へ。ここもやはりトロリーバスが健在。
街の中には廃墟と化した建物も散見され、やはり経済的にも結構苦しいのかなという印象。

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下はカウナス旧市街の隣を流れるネムナス川に架かる橋。長さ256mとのことですが、かつて「世界一長い橋」と言われたそう。
え? それ位の橋はいくらでもあるんじゃ??? と疑問に思われるかもしれません。この橋が「世界一長い」と言われた理由、それは“とんち”の類なのです。

19世紀初頭前後、カウナスを含むリトアニアはロシア領でした。一方、この川を挟んで反対側はプロイセンあるいはワルシャワ公国が支配。ロシアは革命までユリウス暦を使っていましたが、一方でプロイセンなどはすでに現在の暦を使用しており、この橋を渡るということは、異なった暦を使っている国の間を往来することになる訳です。
ということで、渡ると「時差」どころか「日付」すら変わってしまう-そこで『渡るのに数日かかる』などと言われたのが「世界一長い橋」の真相でした。

なお、現在の橋桁は大戦後間もなくソ連時代に再建されたものです。

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リトアニアは十字架で有名です。教会ばかりではなく、家の庭先や道端に木の十字架が立っていたりします。
そんな中、カウナスからリガへ向かう道すがら、十字架で埋め尽くされたその名もズバリ「十字架の丘」があります。

最初は一個だった十字架が、長い年月の間に数万にも増大し、宗教が弾圧されたソ連時代にはもちろん、撤去の動きもあったといいますが、結局は元のとおりになってしまったとか。
日没直後に通ったのですが、恐山、賽の河原にも似たおどろおどろしい雰囲気とは裏腹に、旅人の篤い信仰心が表れた聖地なのですね。

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すっかり夜になり、リガへ到着。カウナスからはバスで5時間ほどかかりました。
ホテルにチェックイン後まずは中央駅へ。典型的なソ連時代の駅舎建築です。

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やはりここにもマックがあったか・・・。マクドナルド リガ駅前店。

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ホテルは19世紀から存在するクラシックホテルだったのですが、エレベーターにはロシア語のボタンが。
右の赤いボタンは「ストップ」と書かれた緊急停止ボタン。左の黒いのには「ドア」という意味の単語が書いてありますが、「開く」ボタンか?

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翌日は旧市街観光なのですが、その中から絶景ポイントを紹介します。聖ペテロ教会です。

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エレベータで教会の尖塔に登るとリガの市街が一望できます。画面左がリガ中央駅。
おっ、スターリン様式の建築も見えますな。ラトビアの科学アカデミーとのこと。

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視線を右に移すと、ダウガワ川が滔々と流れています。
折しも鉄橋を貨物列車が渡っていました。こういうとき、やはり撮ってしまうのがマニアのお約束。(笑)

遠くに見えるのは共産圏ではおなじみ、ラジオ・テレビ塔です。
リガのものはやはりソ連時代の1986(S61)に完成したもので、高さは368m(ということは、東京タワーより若干高いという感じですね)。EU内で見てももっとも高い塔だそう。

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再び地上に戻り、市街観光を続けます。
リガにはアールヌーヴォー建築が多数存在しています。悪趣味なほど凝りに凝った装飾が施されたアパート、雑居ビルが軒を連ねる様は壮観ですが、下の画像はその中でもやや地味な一軒。ロシア大使館です。

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ロシア大使館の筋向かいには、パッと見すぐに共産時代からのものと判る建物が残っています。
1982(S57)年築のRiga Congress Centre。

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残念ながら短時間の滞在でリガからエストニアのタリンへと移動。
道路は地図でみると海岸線沿いに走っているのですが、実際に海が見えるところは意外に少なかったです。
これはエストニアとの国境近いとある集落。向こうに見えるのはバルト海-というよりは、正確にはバルト海に開けているリガ湾。

灰色の空といい、どちらかというと日本海側、北陸本線の富山と新潟の県境を走っているような感覚に襲われました。

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ついにラトビアとエストニアの国境に到着。
画像の奥に見える料金所のようなところが、かつて国境の検問所だった施設です。現在ではまったく係員ははおらず、もちろん何のチェックもなく通過しました。
(ちなみに、リトアニアとラトビアの国境がどんな様子だったのかは爆睡していて分かりませんでした)

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リガにはナチスドイツやソ連による占領を記録する博物館など、興味深い施設がいろいろあるのですが、残念ながら時間がなく、そうした施設は見られませんでした。
ネット上で詳細レポートをアップしている人もいますので、興味ある方は検索してみてはいかがでしょうか。
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プロフィール

ttmuseum

Author:ttmuseum
「20世紀時刻表歴史館」館長。
サラリーマン稼業のかたわら、時刻表を中心とした交通・旅行史関連資料の収集・研究・執筆活動を行う。

<著作>
「集める! 私のコレクション自慢」(岩波アクティブ新書・共著)

「伝説のエアライン・ポスター・アート」(イカロス出版・共著)

「時刻表世界史」(社会評論社)

「時空旅行 外国エアラインのヴィンテージ時刻表で甦るジャンボ以前の国際線」(イカロス出版)

その他、「月刊エアライン」「日本のエアポート」「航空旅行」(いずれもイカロス出版)、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)などに航空史関係記事を執筆。

<資料提供>
・航空から見た戦後昭和史(原書房)
・昭和の鉄道と旅(AERAムック)
・日本鉄道旅行地図帳(新潮社)
・ヴィンテージ飛行機の世界(PHP)
の他、博物館の企画展や書籍・TVなど多数。

「時刻表世界史」で平成20年度・第34回交通図書賞「特別賞」を受賞。

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