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POLISH OCEAN LINES(1957年)

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ポーランド~アメリカ間に就航していた「バートリ」がニューヨークを追放された年、1951(S26)年にグディニャ・アメリカ・ラインズは他の船会社とともに、ポーリッシュ・オーシャン・ラインズとして新たなスタートを切ることになります。
それとともに「バートリ」も新天地へと向かったのですが、今度の活躍の場は大西洋とは正反対、なんとインド洋でした。

同社の1957年(S32)年1月の運航予定表では、「バートリ」はボンベイ(現・ムンバイ)~グディニャ間をケープタウン経由で1ヶ月かけて航海しています。元々はスエズ運河経由での運航でしたが、前年に勃発した第二次中東戦争(スエズ動乱)で運河が封鎖されてしまったことから、この頃は南アフリカ経由のまわり道をせざるを得なかったようです。

ところでなぜ、地理的にも離れ文化も異なるポーランドとインドを結ぶ客船航路があったのでしょうか? 実は筆者にもよくわかりません。ただ、憲法に社会主義を謳い、非同盟を掲げて冷戦時代でありながら東西両陣営とそれなりに付き合っていたインドの外交姿勢を考えれば、決して不可思議なこととは言えないでしょう。

「バートリ」の航海はまだ続きます。1957年には再び大西洋へとカムバック。しかしニューヨークではなく、グディニャとカナダのモントリオールを結ぶ航路への就航でした。
カナダのバランス感覚を重視する外交スタンスのおかげか、1969(S44)年に後進に道を譲って約35年の波乱に満ちたキャリアを終えるまで、今度は平穏無事に役目を務めています。

最後に余談を。ポーランドといえばバルト海に面した東欧の国というイメージがありますよね? しかし、今のような国境が確定したのは第二次大戦後のことなのです。
戦前は全体的に国土が今よりも東にずれており、バルト海との間には東プロイセン(現・ロシア連邦のカリーニングラード州)が横たわっているおかげで、グディニャ周辺がわずかに海に面しているだけでした(いわゆる「ポーランド回廊」)。グディニャの隣にあった自由都市ダンツィヒ(現・グダニスク)にドイツの影響が浸透していたことから、これに対抗する意味もあってポーランドはグディニャ港の整備に力を注いだという歴史があります。

【おすすめのリンク】
"POLISH OCEAN LINES" 公式サイト
 同社の歴史や過去に在籍した船舶についての紹介も豊富。

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プロフィール

ttmuseum

Author:ttmuseum
「20世紀時刻表歴史館」館長。
サラリーマン稼業のかたわら、時刻表を中心とした交通・旅行史関連資料の収集・研究・執筆活動を行う。

<著作>
「集める! 私のコレクション自慢」
(岩波アクティブ新書・共著)

「伝説のエアライン・ポスター・アート」
(イカロス出版・共著)

「時刻表世界史」(社会評論社)

その他、「月刊エアライン」「日本のエアポート」(いずれもイカロス出版)、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)などに航空史関係記事を執筆。

<資料提供>
「昭和の鉄道と旅」(AERAムック)
「日本鉄道旅行地図帳」(新潮社)
「ヴィンテージ飛行機の世界」(PHP)
の他、博物館の企画展や書籍・TVなど多数。

「時刻表世界史」で平成20年度・第34回交通図書賞「特別賞」を受賞。

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