昔の空の旅-おマヌケ印刷物(その2)
この2月3月は、某誌の依頼で「ファーストクラスの歴史」やら「某空港の歴史」に関する執筆が相次いで、ついつい更新に時間を割けませんでした。
そんな執筆の中で見つけた驚愕の時刻表がコレ。

モノ自体はかつて広島を拠点に西日本に翼を広げた東亜航空の時刻表。
東亜航空はのちに日本国内航空と合併して東亜国内航空となり、東亜国内航空は日本エアシステムを経てJALと合併という変遷を辿っています。
それはそうと、下の欄外に「空の豆知識 客室内でのご注意」というコラムがあり、その一番最後の文言に注目。
「運航上の危険を思い起させるような話題は避けましょう」
航空会社みずから言っているあたりがビビリますね。
でも、まだ航空旅行が一般的ではなかった時代には、つい不安を口に出す人がいたのでしょう。
この時刻表は1965(S40)年10月の発行なのですが、実際、その翌年には航空大事故が連続して起きています。
今や乗り込んだらすぐ爆睡し、起きたらもう着陸後だったなんていう人もいるくらいですが、航空旅行はこの半世紀の間に随分と安全・安心になったものです。
(画像をクリックすると拡大します)
そんな執筆の中で見つけた驚愕の時刻表がコレ。

モノ自体はかつて広島を拠点に西日本に翼を広げた東亜航空の時刻表。
東亜航空はのちに日本国内航空と合併して東亜国内航空となり、東亜国内航空は日本エアシステムを経てJALと合併という変遷を辿っています。
それはそうと、下の欄外に「空の豆知識 客室内でのご注意」というコラムがあり、その一番最後の文言に注目。
「運航上の危険を思い起させるような話題は避けましょう」
航空会社みずから言っているあたりがビビリますね。
でも、まだ航空旅行が一般的ではなかった時代には、つい不安を口に出す人がいたのでしょう。
この時刻表は1965(S40)年10月の発行なのですが、実際、その翌年には航空大事故が連続して起きています。
今や乗り込んだらすぐ爆睡し、起きたらもう着陸後だったなんていう人もいるくらいですが、航空旅行はこの半世紀の間に随分と安全・安心になったものです。
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