国境線を越えては戻るラトビアの狭軌鉄道(1937年)

本日のネタは、私のブログでもおなじみ・バルト三国のちょうど中央に位置するラトビアの時刻表。
ラトビアといえば、戦後長らくソビエト連邦を構成する共和国のひとつだったことはよく知られていますが、ここに紹介するのは、第二次大戦の直前・ラトビアが束の間の独立時代を謳歌していた頃に発行されたものです。
ラトビアはバルト海に面した港町。また、西欧からロシアや北欧への通過点にあるということで、この時刻表の内容は表紙のイラストからもわかるとおり、鉄道のみならず航路や航空路線まで収録された総合的なものとなっています。
先ほど、「束の間の独立時代」と書きましたが、この地域の歴史を語る上で他国による領有の変遷は欠かすことのできないトピックです。
近世になってからは、1730年にロシアによる支配が開始され、これは第一次大戦後に独立を勝ち取る1918(T7)年まで続きます。この当時、隣国のリトアニアやエストニアもロシアの支配下にありました。
こういう歴史を経てきた結果、どういうことが起きたのかということを、時刻表に掲載されている鉄道地図から拾うことができます。

これはラトビア全体の鉄道地図ですが、その右上・赤枠で囲んだ場所を拡大してみましょう。

黒い太線がエストニアとの国境線で、そこを挟んで下がラトビア、上がエストニアとなります。
左上から右下に向かって走る「13」番と書かれた路線は、よく見ると一部の区間がエストニア領内にはみ出しているのがお分かりになるでしょう。
つまり、この路線はラトビアから出発し、エストニアの領内を通過し、再びラトビアに戻るという変わったルートを通っていたのです。
この路線が出来たのは1903(M36)年、すなわちロシアによる支配の時代。その後、バルト三国の独立の際、鉄道路線を意識せずに国境線が引かれてしまったということでしょうか。

これを時刻表で見ると、上の画像のようになります。
右下にある13番の時刻表がこの路線。駅名の右に家のマークがありますが、これが国境の駅を示します。ラトビアが管理する鉄道でありながら、Valka~Ape間がエストニア領内を走っていたのです。
この区間の列車は、早朝に行って夕方に帰ってくる一往復の鈍行だけ。
なお、現在でも他国にこうした「回廊列車」は存在しますが、他国領内を走る際にはノンストップだったりするわけで、普通の各駅停車の列車が他国領内を走るというのはあまり例がないと思われます。
ちなみのこの鉄道、現在では運転区間が縮小され、エストニアにはみ出す区間は1970(S45)年に廃止されてしまっています。残ったグルベネ~アルークスネ間(Gulbenes~Alūksnes)はバルト三国で唯一の狭軌(ナローゲージ)鉄道として大切に保存され、観光客や地元の人々を乗せて元気に走っています。
【おすすめのリンク】
グルベネ~アルークスネ鉄道公式サイト
同線の歴史や車両についての紹介。
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