「桜街道」を走った国鉄バス(1976年)

日本人の心の象徴、「さくら」。
春になると盛大に花を咲かせるその姿に、人々は季節の移ろいと人生を重ねます。
日本各地にはその土地土地に有名な桜の木がありますが、中でも岐阜県を南北に貫く国道156号線は、別名「さくら道」や「桜街道」とも呼ばれ、そこにはあるエピソードが秘められています。
今日紹介するのは、そんなエピソードと密接に関係する国鉄バス「名金急行線」の時刻表です。

山深い白川郷を経由して「名」古屋と「金」沢を結ぶことから名金急行線と呼ばれたこの路線。1970年代当時は、国鉄と名鉄のバスが約10時間をかけて両都市を結んでいました。
高速バスではない、一般道をゆく路線バスでこれだけ長時間の運行は歴史的にも珍しいものです。
さて、最初で触れたエピソードは、1994(H6)年に映画にもなっています。
それは、名金急行線の車掌だった佐藤良二氏が、「太平洋と日本海を桜並木で繋ぎたい」との夢を実現するため、職務の合間を縫って沿線に桜の木を植え続けたというもの。
そのきっかけは、時刻表にもその名がみられる「御母衣ダム」の建設に伴い、バスの沿線に移植された「荘川桜」がふたたび花開いたことだったといいます。
佐藤氏は1966(S41)年頃から桜の植樹をはじめ、奇しくもこの時刻表の発行された翌年、1977(S52)年に亡くなるまで、その活動を続けました。
NPOやボランティアなどという概念のなかった当時、一人の思いつきでビッグプロジェクトを進めることには、今では想像できない大変さがあったに違いありません。
佐藤氏の死後間もなく、あたかもその思いが完遂を見ずに終わってしまったように、国鉄バスの名金急行線は名古屋~金沢間を通しての運行ではなくなります。
それから約20年後の2002(H14)年には路線自体が廃止され、桜を背景に走る青と白の国鉄→JRバスの姿は過去のものとなりました。
しかしながら、名金急行線にゆかりのあるJR東海バスの本社前には、佐藤氏が植えた「一号桜」が碑とともに立っており、この業績を今に伝えています(ただし、これは枯れてしまった先代の代わりとして植えられた2代目とのこと)。
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