昔の空の旅-日付変更線通過記念証
太平洋を横断するときに必ず通るのが経度180度、すなわち日付変更線です。
海外旅行がまだ一般的ではなかった時代、太平洋を越えてアジアとアメリカの間を往来するということは人生の一大イベントでした。
そこで、かつては太平洋を横断するパッセンジャーへの記念品として、船会社や航空会社が「日付変更線通過記念証」なるものを発行していました。

ここに紹介するものは、1957(S32)年1月23日に発行された日本航空のもの。画像だけではよく感じとれないと思いますが、単なる印刷ではなく、木版画の風合いを生かした手の込んだ作りです。
日本人の海外旅行がまだ自由化されていなかった当時、日本航空の太平洋線はアメリカ人の需要を取り込むことも重要であり、JALは外国人に受けるような純日本風のデザインを意識して随所に盛り込もうとしていましたが、日付変更線通過記念証はその最たるもののひとつと言えるでしょう。
こうした記念証には日付と機長あるいは船長のサインが入るのですが、日本航空の場合は搭乗機も記載されるのが慣例でした。
画像をご覧いただくとお分かりのように、この日はDC-6Bの"City of Osaka"(JA6205)による飛行だったようです。

ちなみに、機長のサインは"Robert G Judd"と読み取れますが、この人はJALの草創期・まだ日本人乗員が充分に揃っていなかった時代に活動した外国人パイロットのひとりで、1954(S29)年2月にJALが戦後はじめての国際線を運航開始したときに発行されたパンフレットにも「典型的なJALのパイロット」として写真入りで紹介されています。

こうした記念証は、船の世界における赤道祭にも通じるものとして、神様が乗客の通過を許可し、祝福するような体裁になっていることも多く、この場合は見てのとおり七福神がモチーフになっています。裏面はそれらの英文での説明です。

しかし、どこの会社もここまで豪華なものを出していた訳ではないようで、同じ頃のノースウエスト航空のものはいたってシンプル。神様の影は見えず、「国際日付変更線クラブ」と結構あっさりした表現になっています。合理思考のアメリカらしいといえばらしいですが。
航空会社が乗客に記念証を出すという習慣は、日付変更線に限らず赤道や北極の通過でも行われましたが、乗客名などをいちいちタイプする手間もあり(なお、上の画像ではプライバシーへの配慮から氏名は大部分消去しています)、ジェット機の時代になって乗客数が増大するとあらかじめ印刷されたものを配布するだけの対応になり、やがて海外旅行が珍しいものでは無くなると各社とも記念証の発行自体をやめてしまいました。
単なる一枚の紙ですが、こうした気の利いたサービスが今の空の旅にないのは残念なことです。
(サムネイルをクリックすると拡大します)
海外旅行がまだ一般的ではなかった時代、太平洋を越えてアジアとアメリカの間を往来するということは人生の一大イベントでした。
そこで、かつては太平洋を横断するパッセンジャーへの記念品として、船会社や航空会社が「日付変更線通過記念証」なるものを発行していました。

ここに紹介するものは、1957(S32)年1月23日に発行された日本航空のもの。画像だけではよく感じとれないと思いますが、単なる印刷ではなく、木版画の風合いを生かした手の込んだ作りです。
日本人の海外旅行がまだ自由化されていなかった当時、日本航空の太平洋線はアメリカ人の需要を取り込むことも重要であり、JALは外国人に受けるような純日本風のデザインを意識して随所に盛り込もうとしていましたが、日付変更線通過記念証はその最たるもののひとつと言えるでしょう。
こうした記念証には日付と機長あるいは船長のサインが入るのですが、日本航空の場合は搭乗機も記載されるのが慣例でした。
画像をご覧いただくとお分かりのように、この日はDC-6Bの"City of Osaka"(JA6205)による飛行だったようです。

ちなみに、機長のサインは"Robert G Judd"と読み取れますが、この人はJALの草創期・まだ日本人乗員が充分に揃っていなかった時代に活動した外国人パイロットのひとりで、1954(S29)年2月にJALが戦後はじめての国際線を運航開始したときに発行されたパンフレットにも「典型的なJALのパイロット」として写真入りで紹介されています。

こうした記念証は、船の世界における赤道祭にも通じるものとして、神様が乗客の通過を許可し、祝福するような体裁になっていることも多く、この場合は見てのとおり七福神がモチーフになっています。裏面はそれらの英文での説明です。

しかし、どこの会社もここまで豪華なものを出していた訳ではないようで、同じ頃のノースウエスト航空のものはいたってシンプル。神様の影は見えず、「国際日付変更線クラブ」と結構あっさりした表現になっています。合理思考のアメリカらしいといえばらしいですが。
航空会社が乗客に記念証を出すという習慣は、日付変更線に限らず赤道や北極の通過でも行われましたが、乗客名などをいちいちタイプする手間もあり(なお、上の画像ではプライバシーへの配慮から氏名は大部分消去しています)、ジェット機の時代になって乗客数が増大するとあらかじめ印刷されたものを配布するだけの対応になり、やがて海外旅行が珍しいものでは無くなると各社とも記念証の発行自体をやめてしまいました。
単なる一枚の紙ですが、こうした気の利いたサービスが今の空の旅にないのは残念なことです。
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