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拙稿掲載誌のご案内~「鉄道ファン大全」(新潮社)



6月21日、新潮社から「鉄道ファン大全」が発刊されました!

「旅」といえば、かつてJTB・新潮社から刊行されていた名門旅行雑誌。
その別冊として刊行されたムックです。
ただし、厳密な意味で別冊ではなく、その体裁を借りたものとのこと。

鉄道趣味を極めた素人が結集し、その面白さを語ります。
この「素人」というのがポイントで、すでに長年に渡って数多く斯界のメディアに登場しているセミプロ的な人をできるだけ排してセレクトしたとは編集者の談。

私も、時刻表蒐集をはじめたきっかけやその面白さについて寄稿しています。
是非ご覧下さい。

【以下、出版社による内容紹介】

愛情たっぷり、病たっぷり、過剰にして鬼気迫る楽しき鉄道趣味生活。

あなたは「何鉄」? 撮り鉄、乗り鉄、音鉄、ダイヤ鉄……、鉄道を自在に楽しみ尽くす。切符、ヘッドマーク、サボ、駅弁、スタンプ、古書、古地図……、幅も広ければ、奥も深い。「病膏肓に入る」と言うなかれ、誰に頼まれたわけでもなく、嬉々としてお金と時間を費やす鉄道趣味人たちの楽しい人生をこの1冊に凝縮。

拙稿掲載誌のご案内~「九州の空港」

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5月30日、イカロス出版様より拙稿掲載誌が発売されます。

日本のエアポート05 九州の空港

このシリーズは羽田空港、成田空港、関西3空港、東海3空港の4冊が刊行されており、いずれも巻末の歴史パートを私が担当しているのですが、今回も「九州の空港 ナンバーワン&オンリーワン伝説」として、当館所蔵資料を駆使し、九州の空港にまつわる歴史ネタを展開しております。

是非ご覧下さい。

tag : 日本航空の歴史 羽田空港の歴史 昭和史

懐かしの水上バス(1960年)



「東京スカイツリー」の開業で注目を集める隅田川・浅草地域。
ここに欠かせない観光名所といえば、浅草の吾妻橋を起点に隅田川を上下する「水上バス」でしょう。ガラス張りのモダンな2階建て観光船から川風に吹かれながら堪能する眺望は格別です。

ところでこの「水上バス」、昔から現在のような形態だったのかといえば、そうではありません。
ここに紹介するリーフレットは、1960(S35)年に発行されたと思われる「水上バス」の案内。現在は吾妻橋と日の出桟橋(浜松町)をダイレクトに結んでいますが、当時は途中で蔵前橋や両国橋、永代橋に寄りながら、東銀座に発着していたことがわかります。

どうしてこんな各駅停車の路線だったのかといえば、それは現代のように観光に特化した存在ではなく、かつてはまさに水上「バス」という実用性もあったからでしょう。

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内部の解説によると、水上バスのルーツは明治18年(1885)年にまで遡ります。当初は一銭蒸気とよばれていました(表紙に『75年間完全無事故』と書かれていますので、このリーフレットの発行は1960年から61年と推察されます)。

現在では100屯クラスの観光船が走るこの路線ですが、1960年代は「10屯以上」と書かれているとおり、船の大きさは今とは比べものにならない位、小さいものでした(そこに450名収容というのはムリがなかったのでしょうか?)。

運航は夏以外のシーズンは日没頃までとなっていますが、別の資料によると、もっとも日が短い時期で夕方の16時まで。そして日の長さとともに運航時間も長くなるダイヤだったようです。ただ、この当時でも真冬は土日だけの運航となっており、さすがに実用交通機関としての役割は薄れていたのでしょう。

そして、この資料には当時の隅田川に欠かせない風物詩が他にも二つみられます。

一つ目は「勝鬨橋」。解説に書かれているとおり、この頃はまだ一日に3回、開橋していたことがわかります。やがてこの頻度は1961(S36)年に一日1回に減り、1970(S45)には“開かずの橋”となって今に至ります。

もうひとつは「佃の渡し」。路線図の勝鬨橋のすぐ上に描かれているのがお分かりになるかと思います。
隅田川には多くの橋が架けられていますが、かつてはそれぞれが渡し船だったと言っても過言ではないくらい、隅田川の渡しは隆盛を誇りました。しかし、隅田川下流で最後まで残っていた「佃の渡し」も他の例に漏れず、オリンピックで東京が大改造を遂げた1964(S39)年、佃大橋の開通により廃止となっています。

(画像をクリックすると拡大します)

tag : 昭和史

「桜街道」を走った国鉄バス(1976年)



日本人の心の象徴、「さくら」。
春になると盛大に花を咲かせるその姿に、人々は季節の移ろいと人生を重ねます。

日本各地にはその土地土地に有名な桜の木がありますが、中でも岐阜県を南北に貫く国道156号線は、別名「さくら道」や「桜街道」とも呼ばれ、そこにはあるエピソードが秘められています。

今日紹介するのは、そんなエピソードと密接に関係する国鉄バス「名金急行線」の時刻表です。

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山深い白川郷を経由して「名」古屋と「金」沢を結ぶことから名金急行線と呼ばれたこの路線。1970年代当時は、国鉄と名鉄のバスが約10時間をかけて両都市を結んでいました。
高速バスではない、一般道をゆく路線バスでこれだけ長時間の運行は歴史的にも珍しいものです。

さて、最初で触れたエピソードは、1994(H6)年に映画にもなっています。
それは、名金急行線の車掌だった佐藤良二氏が、「太平洋と日本海を桜並木で繋ぎたい」との夢を実現するため、職務の合間を縫って沿線に桜の木を植え続けたというもの。
そのきっかけは、時刻表にもその名がみられる「御母衣ダム」の建設に伴い、バスの沿線に移植された「荘川桜」がふたたび花開いたことだったといいます。

佐藤氏は1966(S41)年頃から桜の植樹をはじめ、奇しくもこの時刻表の発行された翌年、1977(S52)年に亡くなるまで、その活動を続けました。
NPOやボランティアなどという概念のなかった当時、一人の思いつきでビッグプロジェクトを進めることには、今では想像できない大変さがあったに違いありません。

佐藤氏の死後間もなく、あたかもその思いが完遂を見ずに終わってしまったように、国鉄バスの名金急行線は名古屋~金沢間を通しての運行ではなくなります。
それから約20年後の2002(H14)年には路線自体が廃止され、桜を背景に走る青と白の国鉄→JRバスの姿は過去のものとなりました。

しかしながら、名金急行線にゆかりのあるJR東海バスの本社前には、佐藤氏が植えた「一号桜」が碑とともに立っており、この業績を今に伝えています(ただし、これは枯れてしまった先代の代わりとして植えられた2代目とのこと)。

(画像をクリックすると拡大します)

tag : 昭和史

国境線を越えては戻るラトビアの狭軌鉄道(1937年)

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本日のネタは、私のブログでもおなじみ・バルト三国のちょうど中央に位置するラトビアの時刻表。
ラトビアといえば、戦後長らくソビエト連邦を構成する共和国のひとつだったことはよく知られていますが、ここに紹介するのは、第二次大戦の直前・ラトビアが束の間の独立時代を謳歌していた頃に発行されたものです。

ラトビアはバルト海に面した港町。また、西欧からロシアや北欧への通過点にあるということで、この時刻表の内容は表紙のイラストからもわかるとおり、鉄道のみならず航路や航空路線まで収録された総合的なものとなっています。

先ほど、「束の間の独立時代」と書きましたが、この地域の歴史を語る上で他国による領有の変遷は欠かすことのできないトピックです。
近世になってからは、1730年にロシアによる支配が開始され、これは第一次大戦後に独立を勝ち取る1918(T7)年まで続きます。この当時、隣国のリトアニアやエストニアもロシアの支配下にありました。

こういう歴史を経てきた結果、どういうことが起きたのかということを、時刻表に掲載されている鉄道地図から拾うことができます。

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これはラトビア全体の鉄道地図ですが、その右上・赤枠で囲んだ場所を拡大してみましょう。

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黒い太線がエストニアとの国境線で、そこを挟んで下がラトビア、上がエストニアとなります。
左上から右下に向かって走る「13」番と書かれた路線は、よく見ると一部の区間がエストニア領内にはみ出しているのがお分かりになるでしょう。
つまり、この路線はラトビアから出発し、エストニアの領内を通過し、再びラトビアに戻るという変わったルートを通っていたのです。

この路線が出来たのは1903(M36)年、すなわちロシアによる支配の時代。その後、バルト三国の独立の際、鉄道路線を意識せずに国境線が引かれてしまったということでしょうか。

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これを時刻表で見ると、上の画像のようになります。
右下にある13番の時刻表がこの路線。駅名の右に家のマークがありますが、これが国境の駅を示します。ラトビアが管理する鉄道でありながら、Valka~Ape間がエストニア領内を走っていたのです。

この区間の列車は、早朝に行って夕方に帰ってくる一往復の鈍行だけ。
なお、現在でも他国にこうした「回廊列車」は存在しますが、他国領内を走る際にはノンストップだったりするわけで、普通の各駅停車の列車が他国領内を走るというのはあまり例がないと思われます。

ちなみのこの鉄道、現在では運転区間が縮小され、エストニアにはみ出す区間は1970(S45)年に廃止されてしまっています。残ったグルベネ~アルークスネ間(Gulbenes~Alūksnes)はバルト三国で唯一の狭軌(ナローゲージ)鉄道として大切に保存され、観光客や地元の人々を乗せて元気に走っています。

【おすすめのリンク】
グルベネ~アルークスネ鉄道公式サイト
 同線の歴史や車両についての紹介。

(サムネイルをクリックすると拡大します)
プロフィール

ttmuseum

Author:ttmuseum
「20世紀時刻表歴史館」館長。
サラリーマン稼業のかたわら、時刻表を中心とした交通・旅行史関連資料の収集・研究・執筆活動を行う。

<著作>
「集める! 私のコレクション自慢」
(岩波アクティブ新書・共著)

「伝説のエアライン・ポスター・アート」
(イカロス出版・共著)

「時刻表世界史」(社会評論社)

その他、「月刊エアライン」「日本のエアポート」「航空旅行」(いずれもイカロス出版)、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)などに航空史関係記事を執筆。

<資料提供>
「航空から見た戦後昭和史」(原書房)
「昭和の鉄道と旅」(AERAムック)
「日本鉄道旅行地図帳」(新潮社)
「ヴィンテージ飛行機の世界」(PHP)
の他、博物館の企画展や書籍・TVなど多数。

「時刻表世界史」で平成20年度・第34回交通図書賞「特別賞」を受賞。

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